【霊的世界83】 過酷なものとの遭遇 ~霊が持っている苦悩や迷いを人間が受け取ってしまう危険性~

S先生(日蓮宗・ご住職・男性)のお話によると、引導(亡くなった方を向こうの世界へと送り出すこと)を行う場合、僧侶がご本尊(永遠の仏陀)の中に飛び込み、極めて安定した状態が築かれてはじめて、事が展開するものなのだそうだ。なので、僧侶は引導を安心して取り組むことができるという。霊感を磨く・・・というような修行だとそういう訳にはいかず、時に過酷なものに遭遇してしまう・・・ということがあるのではないかと思います・・・と、S先生はそうもおっしゃっていた。

過酷なものに遭遇してしまう・・・とは、例えば低級霊、悪霊、知恵のついたちょっとした宇宙人とか、あるいはレプ(レプティリアン)やドラコ(ドラコ二アン)のことなんだろうか・・・と、私はそう思ってしまったのだ。前者2つはともかく、S先生は宇宙人や、レプあるいはドラコともお付き合いがあるのだろうか・・・と、私はそうも思ってしまった。それで私はこの事をそのままS先生にお聞きしてみた。だが、それは私のえらい勘違いで、想像力の膨らせ過ぎだった。

S先生からのご回答は下記の通り。

ここは、やや言葉が足りないし、
適切でなかったかも知れません。

私の場合、仏陀や仏法によって守られた上で、
あたかも鏡に霊の姿が映し出されるようなもので、
鏡が映像を結んだとしても
それによって鏡自体は影響を受けないように
私自身に影響はないのです。
後に引くことも無いのです。

ところが、いわゆる生まれながら
霊感を持っていたり、
単に霊感を得るための修行を
された場合、仏陀や仏法などによる
守りがないので、
霊の持っている苦悩や迷いを
そのまま受けてしまう
かも知れません。

しかも後に引いてしまうこともあって、
そういうことが頻繁にあると
その人の人生が影響を受けて、
生きづらいものになりかねないのです。

また自らの心が浄化され
かつ安定しない状態で霊感を得ようとすると、
自分の思いや煩悩が霊の姿に投影されてしまう
ということもあります。
これだと、人々を間違った方向に
導いてしまう場合がすくなくありません。

合掌
S先生のお名前ここに記す

過酷なものに遭遇してしまう・・・とは、つまりこういうことのようだ。普通の人が霊と関わると、殆どの人は仏陀や仏法に守られていないので、霊の苦悩や迷いをそのまま受けてしまう可能性があるということ。そしてそういう事が頻繁に続くと、霊と関わるその人は、自分の人生が生きづらくなってしまう可能性もある。そういったことに直面することなる・・・という意味だった。「なるほどー」と思い、私の心は、この霊妙な世界に益々引き込まれていった。

S先生は、引導がお出来になる以前は、霊的なことが映し出されることは、殆どなかった・・・ と、そうおっしゃっていた。あったとしても、僅かな情報に過ぎないと、そうもおっしゃっていた。S先生のお話の感じだと、極めて安定した状態に包まれてはじめて、その基礎の上に少しずつ展開してゆくもの・・・なのだそうだ。多少の霊的なことが映し出された時期があったとしても、でもその後に、いきなり引導がお出来になった時、S先生と言えども、やっぱり驚いたのかなぁー・・・と、私はそう思った。

S先生の身体の中に、突然霊が飛び込んできて、そして成仏していく姿を(S先生が)見届けることになったとしたら、お坊さんと言えども、やっぱり最初は驚くのかなぁー・・・と思ったわけだ。その辺りのことをS先生にお聞きしてみた。

すると、S先生はこうおっしゃった、「それは、驚きましたよ。自我意識がありましたので、いかに修行とは言え、簡単に受け入れられるものではありません。しかし、修行で起こってきたことは、ありのままに体験しなければならない。それが、修行ですので・・・。また考えてみれば、そのままの体験を通そうと努力することにより、我を超えてゆくことになる。」と。

「S先生でもやっぱり驚いたんだぁー・・・。そりゃそうだよねぇー、ことがことだし・・・。」と、私はそう思った。修行で起こったことは、ありのままに体験しなければならない。それが修行・・・という一節にも、私はかなり興味を持った。

以前に、私はマーフィーの教えに関する本を読んだことがあった。その本によると、確か雑貨屋か何かで知り合った人と一緒に旅をするお話なのだが、肉眼では普通の人に見えた。でもその人は、実はこの世の人ではなかったのだ。あれだけ2人でしっかり会話してて、それでもそんな事ってあるんだぁー・・・と思い、私はその時かなり衝撃を受けた。

その事をふと思い出した私は、S先生にこんな事もお聞きしてみた、「S先生は普通の人間なのですよね? 私たち地球人と同じ肉体なのですよね?」と。S先生のなさる事があまりにも霊的で、超人的だから、前々から、どうなんだろうーどうなんだろうー・・・と私はそう思っていた。

するとS先生はあっさりと、「ええ、普通の肉体ですよ。」とおっしゃった。そしてS先生は続けてこうもおっしゃった、「もちろん通常の肉体を超えたものを得る、という段階もあるようです。しかし、ごく普通の人間の身でこうしたことが可能になる、ということこそ素晴らしいと私は思っています。つまり、法華経は、特別な人だけではなく、多くの人の可能性を開くものだという証拠だからです。」と。

法華経は、特別な人だけではなく、多くの人の可能性を開くものだったのかぁー・・・。だからS先生は、ごく普通の私にも祈りを教えてくださったんだぁー・・・。そういうことだったのかぁー・・・」と、私はしみじみとそうも思った。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2018年3月29日

【広 告 (Advertisements)】