【霊的世界84】 異次元への扉を開ける ~祈りはじめて3、4ヶ月が転機~ 霊が僧侶に降りる時

「いつも返答に困るような難しい質問をされますね(笑)。」と、私はS先生(日蓮宗・ご住職・男性)に、先々月(2018年2月)そう言われてしまった。いつも私がS先生に、返答に困るような難しい質問をしている・・・ということのようだ。

私はそんなつもりはないのだが、私がここで記事を書いていく上で、「あれ? これってこれでいいんだよねぇー・・・」とか、「あ、でもS先生は、以前にこれこれしかじかな事をおっしゃってたしなぁー・・・」などと思いを巡らしていくうちに、思考や記憶が曖昧になってしまって、たまにわからなくなってしまうことがある。

目に見えない世界のことなので、私の思い込みや思い違いで記事を書いてしまってはまずい。そもそも霊的世界のことを、あるがままに書き記す方が無理なのかもしれない。でも出来るだけS先生のおっしゃっていることを、それこそS先生がこれまでにご体験されてきた唱題プラクティスの世界(霊的世界)のことを、私は出来るだけ皆さんに、忠実にお伝えしてきたつもりでいる。

それはともかく、私がS先生にあれこれとお聞きするので、そのお陰で現状を改めて振り返り、じっくり観察できると、S先生はそうおっしゃっていた。そのことで世間への認識に反映されるのであれば、それはそれでよいことなのですと、S先生はそんな風にもおっしゃっていた。

引導についてもう少しお話すると、ひとりの人の全ての情報を、無制限に明かすものではないそうだ。そんな事をしたら、あまりにも多くの情報があり過ぎて、収集がつかなくなってしまうという。なので、亡くなられた方を供養したいと思うご家族等の関係性において、必要であれば、あるいは大事な事柄であれば、(霊が)必要に応じた姿形で、S先生の身体の中に現れるそうだ。

以上のことを前提としてご理解いただいた上で、S先生は更にこんなこともおっしゃっていた。以下がS先生から私へのメールの全文である。

亡くなった方の体型や容姿については、
ある程度(S先生は)わかると言えるし、
すべてではない、とも言えます。

なぜなら亡くなった方は、私の心と声と動作によって
表現されるのですが、ということは、私は、
ほぼその人そのものとなります。

ただし以前にも申しましたが、
私自身の意識は、清明にたもたれますので、
霊魂によって(S先生の意識が)完全に奪われる
ということはないのです。

でも何はともあれ、ほとんど私は
亡き方そのものなので、
外から自分を観ることのない私は、
亡くなった方が反映されている
私自身の表情や様子を意外と知らず、
それを客観的に見ている他人の方が、
わかっているということもあるのです。

もちろん、たとえば、お年寄りの場合、
背を丸めて現れ、しゃがれた声で
人々に話しかける場合がありますし、
供養する人の心に対して
あたかも生きている者と同様に
反応するのです。

たとえば、供養する人が、嫌悪を抱いていれば、
霊魂も怒りや時に悲しい感情をいだきます。

その時独特の表情や動作をします。
顔や腕など普段私がするのと違う筋肉の
動かし方をしたりするので、私としては、
「なるほどー、この方は、このような表情筋の
動かし方をする人なのだ」
と感動したりするのです。

ただし、これが本当に本人の生前にしていた
動かし方にあたるのか、
という精密な検証はなされていません。

なぜならそんなことは
家族でも知らない(気づかない)場合が
多いからです。

いつか厳密な科学研究が
なされる時代が到来した場合には、
このあたりが完全に
明瞭になることでしょう。

合掌
S先生のお名前ここに記す

はじめてこの記事を読まれる方には、ちょっとわかりづらいかもしれないので、少し補足すると、こういう事である。上記のような霊的なこと全てが、S先生の身体の中で起こる・・・ということである。全てとは、必要に応じて・・・という意味で、霊がS先生に降りて、そこでS先生の身体を使って(霊が)表現する・・・ということである。

普段、S先生が使わないような顔や腕の筋肉を、(霊が)使う・・・という点に、なんだかすごい世界を感じた。このように霊が伝えたい・・・と思えば、S先生の身体を通じて(霊が)表現することもある・・・ということである。

私が、かつてどうしようもなくひどい呼吸困難に見舞われたのが、祈りを習いはじめて3ヶ月が過ぎた頃だった。この時期が、異次元への扉を開ける1つの転機になるのかもしれないなぁー・・・と、私はそんな風にも思った。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2018年4月5日

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