S先生(日蓮宗・ご住職)がこれまでに行ってきた供養は、死後すさまじい思いを抱えた霊ばかりだったそうだ。しかし、なかなか成仏できない霊だからこそ、仏の命(妙法)をお借りして成仏させるのだ。仏の命をお借りするには、仏の命がどんなものなのかを、僧侶自らが体得する必要がある。どうもそういうことのようだ。
仏の命を受け取ったその瞬間、僧侶の肉体や精神、魂がどういう状態になるのか・・・といったことに関するもっと具体的な詳細については、お聞きしなかった。ここでそれを明かすと、あたかもそういった霊能力を自分も身につけたかのように振舞う悪徳僧侶や霊感商法などに利用する者が、後を絶たなくなると思ったからだ。
今回、S先生とのメールのやり取りで、私の心に一番強く残ったのは、引導である。引導とは、僧侶が祈りを通じて、死者を確実にお釈迦さまの元に送り出すことである。壮大なお葬式をしました、とりあえず何十回忌も法要を行い、しっかり祈ったからもう大丈夫だ、じゃあねバイバイ・・・ではなく、海よりも深い意識の層で祈る・・・ということのようだ。まず、これができるかどうかだ。そして、仏法という鏡に照らし合わせた時に、「よし、この霊はお釈迦さまの元に行ったぞ! 今この瞬間に送り出せたぞ!」と、そういった自信と確信が持てるまで、僧侶はしっかりと修行をするべきだと思います、とS先生はそんな風にもおっしゃっていた。
つまり・・・だ。つまり、死者をなんとなく送り出せたと思う・・・とか、(死者を)送り出せたに違いない・・・などと、そういう曖昧で都合のいい思い込みでは難しいということである。このことをひっくり返すならば、そういう祈りが、ここ地球に確実に存在する・・・ということである。
もっと分かりやすく言うと、深い意識の層で祈れるようになると、送り出すその瞬間をあたかも今自分の目でしっかりと見ているかのような、そういった感覚を味わいながらも、それでいて、自分の肉体の中からその死者の霊(あるいは魂)が抜け出ていく瞬間を(僧侶が)体感する・・・ということである。どうもそんな感じなのだ。この辺りのことになってくると、そこのお寺の密教になるので、そういった類いの書物を探し出すのは難しいと思われる。こういったことの実例に関しては、いずれこの「星がささやいて」の【霊的世界】シリーズでお話しようと思う。
最後になるが・・・。今回の私の睡眠時の夢で、私に引っついたその感情とは、芋づる式にズルズルと自分の内側から上がってきて、それがハエ取り紙のようにペタペタと私にくっついた・・・ということである。笑うかもしれないが、それが私の体験したことなのである。本当に異例な夢だった。
(完)