私はその石窯パンをお寺のS先生(日蓮宗・ご住職)にお届けに上がった。その時、相談者はまだS先生のお寺におられた。
S先生のお寺に着くと、私は玄関先で、呼び鈴を「ピン・・・ポーーーン!」と、ゆっくりと押した。すると直ぐに廊下の奥の方から「はーい!」という声がした。「あ、S先生だ!」と思った。私は「海王丸ですぅー」と、春のように答えた。S先生が玄関の扉を開けてくださったので、「こんにちは。来ちゃいましたぁー!」とかなんとか言った覚えがある。いつもの私のせりふだからだ。S先生はニコニコされていた。私はそそくさと玄関に入ると、微かに、お香混じりのお寺特有の匂いに気づいた。「あ、そうそう、お寺の匂いって、こういう匂いなんだよねぇ~・・・」と思い、わずかな安らぎを感じはじめた。
こっちのパンが石窯パンで、こっちは普通のガスオーブンで焼いたパンなんだと説明しながら、時折、S先生と私の2人で、その袋の中を交互に覗いた。すると、S先生は「あら、こんなに?!」とおっしゃった。なんだかちょっとうれしそうだった。数分、何気ない話をした後、私は玄関の外に出た。その時に、私は「じゃ、S先生、また来ますねぇ~・・・」と言って、頭をゆっくりと左に傾けた。これが大きな失敗だった。目が回った!
既に、S先生は廊下の奥へ行かれていた。私の髪はワンレングスのロングヘアーなので、頭を左に傾けた次の瞬間、玄関ドアの内側にある回転式施錠のところに、なんと、私の髪が5~6本、1度に絡まってしまったのだ。本当に一瞬のことだった。私は傾いたまま、全く動けなくなってしまったのだ。「どうしよ~!」と思った。私が1人でもがいていたことで、異変を感じ取ったS先生が、再び廊下の奥から出て来られて、S先生が私の髪をその施錠から引き離してくれた。私は「助かったぁー」と思った。傍から見たら、「まだ帰りたくなぁーい!」と言って、ドアにしがみついているように見えたかもしれない。
S先生は、職業柄上、お人柄上、絶対に人の不幸を笑わない。でも、さすがに今回のことは耐えられなかったご様子だ。S先生は、笑いたいのを必死にこらえているご様子だった。S先生の両肩が微かに揺れていたのだ。それに気づいた私も、顔をそむけてクスクスと笑ってしまった。
この日、S先生にお会いできたのはわずかな時間だった。それでも私はとても心が満たされた。心が繋がっていれば、必ずまた会える。人と人は、そういうものなんだと思う。心は今もこうして温かい。うれしい限りである。
(続く)