先月(2017年4月)に、近所の農協へ買い物に行った。いつものように地元で採れたお野菜やくだものをどっさりと買い込んだ。お会計を済ませると、レジ係のおねえさんが、「今こんなのをやってますから、よかったらどうぞ!」と言い、私にカラフルなチラシを1枚手渡してくれた。「え? なに? なに?」と思い、興味津々にそのチラシを見た。すると、今農協の銀行(JAバンクのこと)で定期貯金を作ると、商品券をプレゼントしてくれるという内容だった。ここ(農協の直売店)でもその商品券が使えるのかどうかをお聞きしてみたところ、使えるとわかった。心が「グラッ!」とした。「ほしーい!」と思った。
エドガー・ケイシーさんは、できるだけ今自分が住んでいる土地、もしくはその近くで採れたものを食べなさい・・・と言っていた。頭がまだ柔らかかった子供の頃から、それを忠実に守って生きてきたのが、あの千賀一生(ちがかずき)さんだ。「ガイアの法則」という本を書いて、大ブレイクした時の人、あの千賀一生さんである。彼の場合、そういうことを知らずに育ったのだ。小学校に上がるまでに、一通りの野菜作りはできるようになっていたというのだから、驚きだ。彼の親御さんが自分たちで食べる分の農作物をやっていたので、そのお手伝いをしていたそうだ。
千賀さんが育ったところは、海が近かったこともあり、海にもぐって、例え魚には逃げれようとも、貝とか、足の遅いカニとかをね、捕まえていたのかもしれない。相手だって生きてるんだもん。「僕を刺身にしてくれ!」と言って近づいてくるお魚はいないと思う。ましてやその当時、千賀さんは子供だったから、動きの速い魚を捕まえるのは、ちょっと無理だったかな・・・なんて思ったりもする。でも、自給自足の生活をしようと思えば、できる環境にあったと、千賀さんが私にそう教えてくれた。
大地には大地のエネルギーがある。そこに住むという事は、知らず知らずのうちにその土地のエネルギーを受け取ることになる。そういった土地のエネルギーを得て育ったお野菜やくだものの方が、その人にとっては一番共鳴しやすい・・・ということなのかもしれない。
私に祈りの礎を築いてくださったS先生(日蓮宗・ご住職・男性)は、かつてこんなことをおっしゃっていた、波動の悪い大地に手をかざすと、「バリバリバリバリィーーー!」というそうだ。木が裂けるような音なのか、あるいはエレックトリックショックのようなものなのかはよくわからないが、お話の感じだと、ものすごいエネルギーを感じ取るそうだ。
「乃風さんとこのお尚さんは、魔法使いか?」って思われてしまったかもしれないが、手には小さいチャクラがあると、聞いたことがある。感性を磨いていくと、そういう眠っている感覚が目覚めてくるみたいだ。
エドガー・ケイシーさんは、こんな事も言っていた、地上で育ったお野菜を3、地下で育ったお野菜を1で食べなさいと。3対1という比率のことである。にんじんは地下で育つが、地上のお野菜としてカウントするようにと、エドガー・ケイシーさんは、そうも言い残している。
こういった事も含めて初めて知った時、私は、「どの土地で育とうが、野菜は野菜じゃん! どこがどう違うの?」と、よくそう思ったものだ。
こういった事をよく理解できないまま、次のことを知った時には、私は本当に拍子抜けしてしまった。レタスとセロリは、玉ねぎとラッディッシュを一緒に食べるのを避けるようにと、エドガー・ケイシーさんはそう言ったのだ。人間が体調を崩す原因は、食べ物よりも、むしろ食べ合わせの方だというのだから、これには本当に驚いてしまった。
つまり、レタスにスライスした玉ねぎを散らして食べないように・・・という意味である。セロリとラディッシュを一緒に煮ても、焼いても食べないように・・・という意味である。あるいはセロリと玉ねぎの組み合わせもやめなさい・・・という意味である。
以前に、どこかでお話したと思うが、ある有名なメーカーの生野菜ジュースを、自宅に大量に備蓄しておいた時期があった。東日本大震災を経験したからである。缶入りのもので、りんごや塩も一切入っておらず、少しのレモンで味を整えたものなので、非常に飲みやすいと思った。私はひと口飲んで、一回で気に入ってしまった。その賞味期限が近づいていたので、1日3本ペースで飲んでいたら、突然、口内炎ができてしまったのだ。缶の素材、お野菜の原産地や製造過程、保存状況など、メーカーに問い合わせながら、あれこれと調べてみた。私の家族は全く問題なかったのだが、なぜか私だけが、口内炎が一進一退を繰り返したのだ。血豆ではなく、普通の口内炎である。
私がその時着目したのは、そのお野菜の原産国である。殆どのお野菜が海を渡って日本にやって来たものばかりだったのだ。私の身体には共鳴しないんだと思った。恐らく、そういうことなんだろうと、私はそう思ったのだ。
「あら、乃風さんって、ずいぶん敏感なのね!」と思われてしまったかもしれない。ある時、家族と近所のラーメン屋さんにラーメンを食べに行ったことがあった。ラーメンのトッピングに、プリプリの小エビが何匹か乗っていた。それを口にした瞬間、微かに消毒剤のような味がしたのだ。「ゲッ!」と思った。気のせいかと思い、別のプリプリ小エビに狙いを定めて食べてみた。やはり結果は同じだった。家族に言ったら、そんな味はしないと言ったのだ。「おかしいなぁー・・・」っと思った。
別の日に、別のラーメン屋さんに行ったら、自分が注文したラーメンの上に、なぜかまたプリプリの小エビが乗っていた。それを見た私は、イヤーな予感がした。でも、やはりそこでも、微かに消毒剤のような味がしたのだ。ここでも家族はそんな味はしないと言ったのだ。「変だなぁー・・・」と思った。カウンター越しに調理場を見たが、ザルにプリプリの小エビが水切りされていた。てんこ盛り状態だった。「犯人はあのエビだなぁー・・・」と思った。
恐らく、冷凍食品を使っているのかもしれないなぁー・・・と、そうも思った。全部が全部ではないと思うが、輸入の冷凍食品の場合、衛生管理を強化するために、数時間置きに作業員が手を消毒する姿を、あるテレビ番組で見たことがあった。
例えそうだとしても、店長がその食材を使う時に、味見をした上でお客さんに、ラーメンならラーメンを提供しているはずだと思う。でも店長は気づいていない様子だった。周囲のお客さんも私の家族も何も気づかない・・・。ただ黙々と食べていた。とても不思議に思った。
ラーメンの話はともかく、そういった家庭環境の中で育った千賀一生さんは、遂にガイアの法則に基づく暦を作ったのだ。千賀さんのお話によると、縄文人は、太陽系周期リズムに合致する生活を送っていたそうだ。暦はその宇宙周期リズムを現代に復元させたものだという。
宇宙には流れというものがあるので、時期を待たずに、闇雲に努力をしても、事はうまく運ばない・・・ということのようである。
この春(2017年3月)、萩原優医学博士が、花粉症に関するCDブックを発売された。その発売日を千賀さんのその暦と照らし合わせてみると、魂の内的萌芽期を静かに見守った、とてもいい時期に発売されていることがわかった。アマゾンの、アレルギー部門の人気ギフトランキングトップ100位中、萩原先生のそのCDブックは、現在第1位に輝いていることが、ついさっきわかった。
私は当初から、「このCDブックは、ノーベル賞ものですね!」と、萩原先生にそう申し上げたのだ。そうこうしているうちに、アマゾンでとうとう第1位になってしまったのだ。そりゃ、もう、驚いたってもんじゃなかった。「やっぱりかぁー・・・」と、そうも思った。
何をするにしても、身体が資本になる。体調を崩しているなぁー・・・と気づいたら、やはりまずは食に対する意識を、もう一度見直すといいのかもしれない。
(完)