【霊的世界68】 お釈迦様やお釈迦様のお弟子さんたちの空中浮遊 ~瞬間移動も出来た~ パート6

「ちなみに御経(法華経 如来寿量品ーほけきょう にょらいじゅりょうほん)によると、如来が秘密にして、滅多にあかすことのない神通力とは、成仏なのです。ここにおいては、目的と手段が一致しているのですね。

成仏と言っても、通常われわれがイメージする成仏という内容とは、異なります。」

と、S先生(日蓮宗・ご住職・男性)は、メールでそうお答えになった。最後の部分の「成仏と言っても、通常われわれがイメージする成仏という内容とは、異なります。」とは、どういうことなのか・・・。この事について、私は、S先生に、もう一度問い合わせてみた。ここまでが前回のお話。今日はその続きから。

上記の通りで「神通力とは成仏のこと」だから、ここでの意味の成仏を考える上で、私は「神通力」と「成仏」を、ごちゃ混ぜに考えてしまった。この事に対し、私は3つのことを思い浮かべた。想像力を膨らませたのはいいが、行き過ぎた。

成仏とは、

  1. 肉体の死後、無になる・・・という事なんだろうか・・・と思った。{→例えば、死後、何の囚われもない精神状態、つまり涅槃(ねはん)の境地に入ることなんだろうか・・・と思った。}
  2. それとも死後、肉体がずっと腐らないこと? と思った。
  3. あるいはイエス・キリスト様のように、死後、復活することなんだろうか・・・とも思った。

S先生が随分前にお話してくださったのだが、死後、肉体がずっと腐らない覚者がいたそうだ。

私はあれこれと思いを巡らしたが、上記3つを添えてS先生にメールをお送りし、ご回答を待った。

その後のS先生からのお返事によると、その意味するところは、死後の成仏ではなく、生前の成仏のことだった。以前に、この類いのお話をS先生から「チラッ!」と、お聞きしていた事を、私は急に思い出しつつも、「そういう事だったのかぁー・・・」と、私はそう思った。

下記はその時のS先生からのお返事だが、そのまま掲載させていただくことにした(青い文字:私、乃風記す)。

  1. 一般に日本では、成仏とは死後の成仏のことを言いますが、それは本来の仏教とはかけ離れています。ほんらい仏教は、生きているうちの成仏を説いているのです。
  2. ふつう成仏というと、苦しみや執着を離れた霊魂の状態を言いますが、仏教からすると、それはまだ成仏とは言い難いのです。ほんとうの成仏とは、単に苦しみから離れた状態ではなく、さらにほんらいの命のもとである仏性が、輝き出た状態を言うのです。それは、全き(「まったき」と読み、「完全なる~」という意味)満足と自在な心、そして慈悲と智慧(ちえ)をもった状態なのです。
  3. そして仏に成る(成仏する)ならば、普(あまね)く人々を救済することが出来ます。
  4. 仏とは、死を超えた永遠の命なのです。
    死後肉体が腐る腐らないということなどということは、問題ではないのです。

最後の米印の一節を目にした時、私は思わず「プーッ!」と吹き出して笑ってしまった。正に思い出し笑いである。ヨガナンダさん(インド生まれのヨガの指導者)とか、時にチベットの僧侶が、死後も肉体に温かみがあったとか、しばらく腐らなかったとか、そのように言われているそうだ。それを周囲で見たり、聞いたりした後世の人達の中には、一応に驚きながらも、いつしか自分もそうなりたいと思うようになった。この事を裏返せばね、死んで肉体がすぐに腐るようなら、その人はろくでもない生き方をしてきたんだと、周囲の人にそう言われないとも限らない。恐らくそういう思いもあって、人々は、いつしか死後の自分の肉体が、腐らないようにと願うようになった。そのためには、こういう物を食べたらいいんじゃないか、あーいう物を食べたらいいんじゃないか・・・などと、心や意識が、すっかりそっちに行ってしまう人もいるという。生きるとは、そういう事ではないのですよ、と、S先生は、その時そうもおっしゃった。

このお話を、S先生から身振り手振りで初めて聞かせていただいた時、私はおかしくて、おかしくて、1週間引きずられて笑った。S先生は、お話される時に、その人の心情や心理を、とても神秘的に表現されるので、なんか楽しいのだ。

楽しいと思うのは、私自身の中に、何か思い当たる節があるからなのかもしれない。自分に気づく・・・、自分を知る・・・ということなんでしょうね、きっと。そういう意味で、S先生のお話は、いつも不思議と心に響く。

昨日の朝(2017年9月27日)にいただいたメールで、S先生はこんな事もおっしゃっていた。死後肉体が腐らなかったからといって、そういう方々は素晴らしいとか、そういう判断をしたことは、S先生は一度もないそうだ。

でも、チベットの方では、死後肉体が腐らないことを強調しようとする動きが、たまにあるという。それでも、S先生はそういうことが優れている、と思ったことはないという。なぜなら、その人が、聖者であるか否かは、その人の言葉と行動(生きざま)によって知られるものであって、それ以外ではないと思うからです、と、S先生はそうもおっしゃった。

驚いたことに、S先生は、魔のような者が、死後肉体が腐らなかったという話も聞いているそうだ。その人の名前は覚えていないという。「その魔人、魔術を使ったのかなぁー・・・」なんて、私はそう思った。

そもそも死後肉体が腐るということは、自然界に戻るということなので、それはそれで自然で良いと、S先生はそうお考えになっているそうだ。腐らないということは、その期間自然界に還元されないという不自然なことでもあります。それは、不思議であるとは言えますが、同時に肉体への執着や依存ということでもあります(残された周囲の人達が、そのご遺体に思いを寄せるという意味)。肉体ではなく、精神こそが聖者の本質ですから、信じるとすれば、肉体ではなく精神や教えだと思います、と、S先生はそうもおっしゃっていた。

最後に、ここで本題を元に戻すが、如来が秘密にして、滅多に明かすことのない神通力とは、生前に成仏することだというのだから、私は、これには本当に驚いてしまった。そもそも私にとっては、神通力と成仏は、全然別のことだと思っていたからだ。とても不思議な気持ちにもなった。

今回のこのシリーズを通して、私は新たな心の扉が開いたような気がした。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2017年9月28日

【広 告 (Advertisements)】