M男さんM子さんご夫妻は、S先生(日蓮宗・ご住職)に、こう聞いたそうだ、「なぜ水子だとわかったのですか?」と。するとS先生は、言葉を慎重に選びならも、「経験上、わかるものなのです。」と、優しくそう仰ったそうだ。水子の性別まで言い当ててしまったが、そのことに関しても、やはり同じ理由なのだという。
M子さんはS先生に「亡くなった子供が、自分の親の脚にしがみついたりすることって、あるのでしょうか?」と、そうも聞いてみたそうだ。すると、S先生は、「霊の世界でも、そういうことはあります。」と、そう仰ったそうだ。M子さんは、「やっぱりそうかぁー・・・」と思ったそうだ。
でも、だからと言って、それだけが原因で、生きている人に不幸や災難などが起こるわけではないそうだ。どちらかというと、節目節目に、そういった水子の思いや想念が、現象に反映されることもあるのだという。例えば、七五三だとか、幼稚園や小学校への入学時などに、「自分だって生きていれば、そうしてもらえたのに・・・。弟(または妹)ばっかり可愛がって・・・」みたいな、そういうヤキモチや淋しさから、そういった思いが形になって、生きている家族の元に届くこともあるのだそうだ。
お寺によっては、水子供養ばかりをさせるところもあるそうだ。祟られるから、だから水子供養をする・・・というのは、それは祈る側の都合になる。それでは本当の供養にはならない。一心に祈る・・・、これが大事なのだと、S先生はそう仰ったそうだ。
決して、そういった供養がダメだとか、必要ないなどと言っているのではないが、ご遺族の心や意識を充分に和らげ、癒し、そして亡くなった方の苦しみや悲しみなども最大限に受け止め、本当の意味での成仏をしていただくのに最も効果があるのが、「唱題プラクティス」なのだと、S先生はそうも仰ったそうだ。
現在でも、M男さんのそういった祈り(唱題プラクティス)は続いているそうだ。
(完)