【霊的世界51】 死を越えて永遠に生きる ~遠い記憶の中で残ったもの~ 僧侶も驚いた

私たち家族がS先生(日蓮宗・ご住職・男性)に初めてお会いすることになった時、初めてお会いするその初詣よりも前に、せめて私たち家族の写真をS先生にお送りしておこうと、私はなぜか急に思い付いた。その時に送った写真は、兵庫県明石市の東経135度(子午線)上で撮った写真だった。場所は、明石市立天文科学館の正面玄関の外に、1本のラインが引いてあるのだが、そのラインこそが、東経135度線である。淡路島に背を向けたのではなく、その科学館を背景にして、通りすがりの人にお願いして、写真を撮ってもらった。

数ある写真の中から、なんとなく「あ、これがいい!」みたいな感じで、その写真を1枚選んだのだ。千賀一生さんの「ガイアの法則」という本(2010年1月30日発売)を読んで、それで、初めて明石に遊びに行った時に撮ったものである。この写真をS先生にお送りしたことで、思わぬ方向へと向かうことになるとは、この時、私は夢にも思わなかった。

S先生に初めてお会いする2日前の元旦(2012年)に、S先生に何か手土産を持って行こうと思い、池袋のデパ地下に買い物に出かけた。元旦だというのに、(地下街の)お店によっては、お会計を待つお客さんが長蛇の列をなしていた。元旦に、デパ地下で買い物をしたことがなかったので、人の多さに驚いた。

そのデパ地下で、足が棒になるほど歩いて見て回った結果、「やっぱりこのお店がいい!」と思ったのは、「長岡京 小倉山荘」だった。品があって、落ち着いているし、優しい感じがしたのだ。売り子さんたちの感じもすごくよかったので、お寺に持っていくのに、なんか丁度いい・・・という感じがした。決してね、他のお店は品がなくて、落ち着きがなくて、売り子さんもダメで・・・とかね・・・そういう意味ではない。

とにかくそのお店に、なんとなく魅かれたのだ。そこのお店で買ったのは、海苔のおせんべいセットである。このお店やその商品に決めた事にも、これまた驚くべき秘密が隠されていたのだ。驚くも何も、私は何も気づかないまま、そのおせんべいセットを買ってしまったのだ。

そして、私たち家族は、その菓子折りと金一封(お布施のこと)を持って、2日後の1月3日にS先生にお会いしに、お寺へと足を運んだのである。そう、初詣である。

問題はここからである。以前に少しお話したが、S先生に初めてお会いしたその初詣で、私たち家族は、S先生のお寺の本堂で、初めて「唱題プラクティス」とやらを行った。その時に、私の元職場のS上司が、死後ずっと私についていた・・・ということが、その唱題プラクティスを通じてわかった。後にS先生とのメールのやり取りでわかったのだが、私たち家族がS先生に手土産としてお渡しした、その菓子折りの外側の包装紙に、こう印刷されてあったそうだ、「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩(もしお)の 身もこがれつつ」と。

買う時に、中身のおせんべいをどれにするかは、あれこれとホントよく見たし、よく考えた。例えば、お相手はお尚さんだから、あんまり派手なおせんべいじゃない方がいいよねぇ~・・・とか、あ、待てよ、お正月なんだから、あまり地味過ぎてもなぁ~・・・などと思い、最後にはS先生のお顔を思い浮かべたりしながら、「よし、これでいこう!」と決めたのだ。包装紙については、そういった連綿体(各文字が途切れずに、連続して書く書体のこと)で書かれてあったのを見たが、でも私はあまりよく覚えていなかった。

その連綿の歌を現代の言葉に訳すと、こうである、「松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、私の身は、来てはくれない人を想って、恋い焦がれているのです。」だ。

それを、およそに理解した私は、なんか、いやぁ~な予感がしたのだ。直感である。その後、「松帆の浦って何?」と思い、調べたところ、な、なんと「兵庫県淡路島北端にある海岸の地名」だったのである! 場所は、淡路町(あわじちょう)松帆崎の海岸を指しており、現在の淡路市岩屋に属し、明石海峡に面する岬である。

先の通りで、私がS先生に初めてお送りした写真は、あの科学館の前で撮った東経135度線上のものだったのだが、そのラインをずっと南下していくと、実は、その淡路島北端につながっていたのだ。そう、あの菓子折りの包装紙に印刷されてあった、あの「松帆の浦」のことである。この事をS先生にお伝えしたところ、S先生もとても驚かれていた。

しかも、私が何となく心魅かれて入ったそのお店「長岡京 小倉山荘」は、京都のお菓子を取り扱っているのだが、亡くなった私の元職場のS上司は、京都出身者で、最後は京都で亡くなられているのだ。

私は何も知らないまま、それこそ何も気づかぬまま、数あるお店の中からその京都のお店に入り、そこで数ある中からその菓子折りを買い、そしてそれをS先生のお寺にお運びしてしまったのだ。別のおせんべいを買っていれば、また違う連綿体が菓子折りの包装紙に書かれてあったのだが。ともあれ、人(霊)の深い思いを感じながらも、度重なる偶然に、私は本当に驚いてしまった!

今だからわかるのだが、恐らく、S先生は、そのわずか20分かそこらのあの唱題プラクティスで、全てを見通されたのだと思う。例えば、この霊は、男性で、胃がんでこの世を去った人で、海王丸乃風さんに思いを残している霊だけれども、でも、(この霊は)乃風さんのご家族やご親族ではないぞ・・・とそんな風に、そこまで把握されていたように思う。それは、これまでのおよそ5年間のS先生の実力を見ればわかるからだ。S先生と私たち家族が初めて会った早々に、しかも、その日はお正月三が日だったこともあり、S先生は、あまり詳細を私に話されることをお控えになったのだと思う。恐らく、そういうことだったのだろうと思う。

以前にもちょっとお話したと思うが、そのS上司が霊になってから、私の傍にずっといたってことは、私のプライベートな事まで全部S上司に見られちゃったのかなぁ~・・・と思い、私はかなり気にした。後にその辺りの事をS先生にお聞きしてみたことがあった。S先生は、数秒間、「んー!」とお声を発しながら、何かをお考えのご様子だった。霊になったS上司が、私のプラベートを見たかどうかの、その明確なご返答はなかった。ただ、S先生はこうおっしゃっていた、霊になって1つの事に意識が留まってしまうと、そこから抜け出せなくなってしまうと。1つの事を思い、考えると、ずっとその事から離れられなくなってしまうのだという。

私にご自分の死を知らせるのなら知らせるで、もうちょっと穏やかに知らせてほしかったなぁー・・・という思いは確かにあるのだが・・・。どういう事かというと、以前にも少しお話したが、私が洗濯物を干していたあの時に、突然、私が激しい胃痛に見舞われ、その時間帯にS上司が胃がんで亡くなったからである。そう、あの時のことである。

でも、唱題プラクティスを通じて、S上司はとても満足されて、そして向こうの世界へと行かれたようなので、それはそれでよかったと、私はそう思った。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2017年1月31日

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