斉藤大法(さいとうだいほう)氏の取材を終えて、2日が経った今日(2015年11月16日 月曜日)、夜9時頃に斉藤大法氏にお電話を差し上げた。先の取材のお礼を申し上げると共に、なぜ私にあのような心の解放が突如として起こったのか・・・を、どうしても知りたかったからだ。今日のそのお電話でのインタビューは、およそ20分程度のものだったが、私はとても納得した。
まず、お寺に伺った時、最初にお寺の本堂で、斉藤大法氏が「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と、三回祈ってくださった。しかし、たったそれだけの祈りで、私にあのような心の解放が起こるとは、ちょっと考えにくい。
そうなると、あと考えられるのは、やはり斉藤大法氏にお会いしたからじゃないか・・・と考える方が自然だと思った。その辺のことを今日のお電話で、今一度お聞きしたかったのだ。
私の思いをそのお電話で斉藤大法氏にお伝えすると、斉藤大法氏は、取材の時のその話の中で、そういった心の解放が起こったのでしょう、とそうおっしゃった。
どうもこういう事のようだ、お寺の僧侶の祈りが全てに行き届いていると、挨拶程度の祈りやお尚さんが何気なく話される言葉の中で、そういった癒しや心の解放などが起こることもあるのだそうだ。或は、お寺に足を踏み入れるだけでも、そういった解放が起こることもあるのだと、斉藤大法氏はそうもおっしゃっていた。しかし、その中でも「唱題プラクティス」というものは、越えがたい深い悲しみ、迷い、悩み、ストレスやトラウマに対して、特に大きな効果がある・・・と、おっしゃっていた。
やはり、私のように突如として、心の解放が起こることもあるのだ。今の私なら、もう前を向いて真っ直ぐ歩いて行けると思った。お寺のお尚さんが祈る力や心は大きいと、そうも思った。
斉藤大法(さいとうだいほう)氏 1958年生まれ 要唱寺(ようしょうじ)ご住職 浜松医科大学医学部卒業 医師(精神科)
(完)