その後、日本で8年間にも及ぶお寺での修行をされたネルケ無方(むほう)さんは、修行僧の為のお寺ではなく、普通の人が参加できる座禅道場を作りたいと思うようになったそうだ。
そして、こうも思ったそうだ、お釈迦さまは、きらびやかなところで座禅を組んでいたわけではないのだから・・・と。だから、今、自分が目の当たりにしたブルーシート生活をしているホームレスたちに、仏教本来の質素な生活の見習いをさせてもらおうと、そう思いついたのだそうだ。そして、ネルケ無方さんは、日本で本当にホームレスになってしまったのだ。最初は大阪城の堀の上で、お1人で座禅を組んでいたそうだ。「なんて行動力のある勇敢な人なんだろう・・・」と私はそうも思った。
キュウリは1本のひもがあれば、まっすぐと上に伸びていくそうだ。その1本のひもが仏の教えなら、師匠の役目は肥やしなのだという。弟子がキュウリのようにまっすぐに伸びていかないのは、師匠の見本が悪いから・・・なのだそうだ。師匠である自分こそが、上へ上へと伸びようとしない限り、弟子たちが育つわけがない・・・と、ネルケ無方さんはそう感じているのだという。
これまでにネルケ無方さんがご出演された動画を、私は数多く拝見したが、ネルケ無方さんは、とても眼に力があり、あまり目がキョロキョロとしないのだ。まるで目が座禅を組んでいるかのようで、森の中の静けさを感じた。正にご住職としての風格をも感じた。しゃべり方や歩き方などの所作もゆっくりで、きれいだと思った。
ネルケ無方さんのお寺では、一切の檀家(だんか)さんを持たず、僧侶や参禅者たちと一緒に自給自足の生活をしている。檀家とは、一定のお寺に属して、お寺に金品などを寄付する家のことである。主な収入源は、托鉢(たくはつ)と参禅者のお布施、そして夏に他のお寺のお手伝いなどをして得るそうだ。
托鉢とは、修行僧が金銭などを鉢に受けて回ることである。お椀のような形の鉢を片手に持ったお坊さんが、街角などで立ったままお経を唱えてくれたり、時には話を聞いてくれることもある。そういった光景を目にしたことはないだろうか? 托鉢とはその事である。
托鉢で街中を回るお坊さんは、質素で、控えめで、そして雰囲気のいい人が多い。ネルケ無方さんのお寺の僧侶ではないが、祈りながら、首や肩のところを何度か「トン! トン!」と叩いてくれる(托鉢の)尼僧さんもおられる。60歳代だと思われる。厄払いなのかもしれないが、なんか利きそうな気がする。気さくに立ち話もしてくれる尼僧さんなので、やはりそういう僧侶は人気が高い。人が後を絶たないのだ。「こういう尼僧さんがおられるって、すごいわぁ~・・・」と、私はそう思った。
(続く)