リーディングの記録では、当時4歳。当時4歳のフェイス・ハーディングちゃんに取られたエドガー・ケイシーさんのリーディングが、これまたすごかった! 「これって、怪奇現象でしょう? すごいなぁー・・・」と、私はすぐさまそう思った。
通常、エドガー・ケイシーさんが行うリーディングでは、その内容がとても不思議なことはあっても、これからお話する内容はとても特殊で、初めての事だったそうだ。
エドガー・ケイシーさんのリーディンがはじまると、とても不思議な現象が、すぐさま起こった。いきなり家の窓ガラスが、ガタガタとなりはじめた。「春一番? それとも木枯らし一番?」という感じだ。
そして、お部屋の机の上に積み上げられた手紙やら葉書やら、あるいは何かの書類らしき紙類が、次々と吹き飛ばされた。家の窓や、廊下へと通じるお部屋の扉が開いていれば、風が吹き込んできても、全然不思議ではない。むしろ敢えて取り上げるほどの話題にはならなかったと思う。「窓や扉が閉まっていても、こういう事が起こるんだぁー・・・」と、私はそんな風にも思った。その場に居合わせた人達は、「なんだ? なんだ?」と思ったに違いない。
その後の、みんなの反応もすごかった。エドガー・ケイシーさんは、まだなんの一言も発していないのに、その場に居合わせた人達の目から、涙がポロポロと流れ落ちた。トランス状態のエドガー・ケイシーさんの目からも、涙が流れ落ちた。
この辺りの感覚、私・・・、なんかわかる気がした。例えばね、ナイアガラ・フォールズの巨大な滝を見たり、あるいはグランド・キャニオンのような壮大なものを目の当たりにした時に、あまりのスケールの大きさに圧倒されてしまい、感極まって涙ぐんでしまうことがある。
目には見えないけれども、何かそこに壮大なものを感じたり、あるいは自分のすぐそこで、計り知れないエネルギーを感じたりなんかすると、そういうことが起こることがある。
その場で速記をしていたグラディス・デイビスさんの目からも、涙がこぼれ落ち、その涙が速記のノートにそのまま残っている。その場に、彼女(グラディスさん)のいとこも居合わせたのだが、彼女もその場でノートをとっていた。彼女の目からも涙がこぼれ、そのページに彼女が流した涙の痕が、複数残っている。
そして、眠れる預言者エドガー・ケイシーさんのリーディングがはじまると、エドガー・ケイシーさんは、とても威厳に満ちた、大きな声でこう言った、「汝ら頭(こうべ)を垂れよ。大天使ミカエルがおりた。」と。
この事は、たくさんあるエドガー・ケイシーさんのリーディングの中で、初めて起こったとても稀な出来事だった。
ちょっとわかりにくいと思うので、ここで少し解説すると、世界三大霊訓の1つであるシルバー・バーチ(霊)が、モーリス・バーバネルさん(普通の人間)の肉体におりて、シルバー・バーチがしゃべり出すのと同じように、エドガー・ケイシーさんのこの時の出来事も同じで、大天使ミカエルが、エドガー・ケイシーさんの口を借りてしゃべり出した・・・ということである。
相手は大天使ミカエルと名乗る霊だ。その場に居合わせた人達は、さぞ驚いたに違いない。
そして、大天使ミカエルが、こう言ったという、この小さな少女(冒頭の当時4歳のフェイス・ハーディングちゃんのこと)は、非常に特別な少女なのだと。
しかも・・・だ。この少女は、エドガー・ケイシーさんの能力を遥かにしのぐ能力を与えられている・・・というのだから驚きだ。
フェイス・ハーディングちゃんは、21世紀に向けて与えられた神様からの贈り物だと、そうも大天使ミカエルが言ったのだから、さぁー大変だ!
大天使ミカエルは、この少女を大切に扱い、守る必要があると言い残し、リーディングはそこで終わっている。
このリーディングが行われたその当時、この特別な少女は、アメリカのペンシルべニア州に住んでいた。彼女はわずか1歳でしゃべり出し、しかも聖書を引用してしゃべる事が出来たというのだから、ただ事ではない(ま、そりゃ、そうよね、だって神様からの贈り物だから・・・)。
caycegoods制作のユーチューブ動画(講演DVD ARE 「エドガー・ケイシー驚異の生涯」)の中で話している男性は、シドニー・カークパトリックさん。アメリカ人で、ノンフィクション作家。映画監督もされている。彼は、フェイス・ハーディングちゃんのことも含め、ありとあらゆるデーターを集めて、エドガー・ケイシーさんの本を書いて出版された。邦訳本は出版されていない。
シドニーさんは、その動画の中で、フェイスちゃんのことを7歳の少女と言っているが、リーディングでは4歳と表示されている。
後のエドガー・ケイシーさんのリーディングでわかったのだが、エドガー・ケイシーさんにおりてきた大天使ミカエルによると、フェイス・ハーディングちゃんの前世は、あの有名な洗礼者ヨハネの母親だったという。
フェイス・ハーディングちゃん自身のこんなすごいエピソードもある。ある植木職人が仕事に行く時に、小児麻痺の自分の子供を抱っこして職場に連れて行き、職場の木の下に置いて、自分は仕事をしていた。そして仕事が終わると、再び子供を抱っこして家に連れて帰っていたという。
ある時、近所に住んでいたフェイスちゃんがそこへやってきて、その木の下で1日中ずっとその小児麻痺の男の子の傍に座っていたそうだ。その時にフェイスちゃんが何をしたのかは知らないが、なんと、その小児麻痺の男の子は、その晩に、小児麻痺が治ってしまい、自分の足で歩いて家に帰ってしまったという。それを見たその男の子のお父様(植木職人)は、そりゃもう腰を抜かすほど驚いたに違いない。
このように特殊能力を持っている人は、小さい時からそのような能力が発現されるように思われがちだが、必ずしもそうとは言えない感じがする。
私に祈りの礎を築いてくださったS先生(日蓮宗・ご住職・男性)の場合、普通の子供だったそうだ。霊が見えるとか、聞こえるはずもない声が聞こえるとか、そういうことは一切なかったという。
それどころか、S先生は、そういった世界の事は、全く信じていなかったそうだ。なぜならそういった現象は、全て脳内で起こっていることなので、現実の世界としてはあり得ない・・・という風に思われていたようだ。
ところが・・・だ。僧侶としての修業をはじめていくうちに、S先生はメキメキと超能力を発揮していった。その過程で霊と接触し、それで「これはなんかあるぞ!」と、S先生はそう思ったそうだ。
S先生が本堂で真剣に祈っていた時に、S先生はいきなり霊に引きずられて、(S先生の)身体が吹っ飛んだことがあったという。S先生は丸い目をして、その時の事をそうおっしゃっていた。
私の母に知り合いの修行僧がいて、その方が母に何かの話の流れで、このように言ったことがあった。そのお坊さんがお寺の本堂で、お経を読んでいたか、祈っていたか、あるいは何らかの修業をしていたその時に、そのお坊さんの耳に、霊の衣が引っ掛かったことがあったそうだ。
見えなくても感じる。そういう世界がある・・・ということのようだ。
目に見えない世界ほど奥は深い。私はつくづくそう思った。
(完)