【霊的世界81】 神々はなぜ人間を抱きしめるのか? ~お重箱の隅を突っつくような質問~ 僧侶真剣ご返答

私がかつて唱題プラクティスの中で、天女に抱きしめられた事について、S先生(日蓮宗・ご住職・男性)は、私にこうおっしゃった、

仏陀は、恐らく(当時の)乃風さんが、
天の愛を知るべきだと
判断されたのではないかと思います。
そして天女を遣わしたのだろうと
推察します

と。冒頭の唱題プラクティスとは、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」と、繰り返し唱えることである。

私は、S先生のその一節に触れた時、結構大喜びした。でも、何かがぼんやりとわからないでいた。しばらくすると、私はこう気づいた、私は、人や自分に対して愛が足りないから、だから天から愛をもらいなさい・・・ということなんだろうか・・・と。

あるいはその逆で、私は愛に充分満ちているから、次は天の愛を知りなさい、天のもっと大きな愛を学びなさい・・・ということなんだろうか・・・と思ったりもした。

ただ、後者の場合・・・その考え方にはちょっと無理があると思った。例えばマザー・テレサさんのように、人類の幸せや世界平和に対して、私が全身全霊で生きているわけではない。なので、私が人々に愛を分け与えられるほど、たくさんの愛に満ちているとは、とても考えにくい。

あるいはもっと別の意味があるんだろうか・・・と思って、あれこれ思いを巡らせた。でも結局よくわからず、正直、複雑な気持ちでいた。

S先生にあまりあれこれとお聞きすると、何だかお重箱の隅を突っついているみたいで、かなりためらいもあった。その思いをお伝えした上で、私は再びS先生にメールをお出しした。やはりどうしても知りたかったからだ。

すると、S先生から意外な内容のご返答をいただいた。思い切ってお聞きしてよかったと、私はそう思った。その時の内容がこちら(下記冒頭の唱題とは、唱題プラクティスのこと)。

私が、唱題をはじめた頃ですが、
それはもう仏様と天人(霊)の愛を受け続けました。
その無限の愛の中で
わたしは、育てられたのです
今日の人々にとってそのことの重要さは、
どんなに言っても言い尽くせません。

なぜならこの高度に発達した文明は、
かならずしも人の心やたましいを育みは、
しないからです。むしろ傷つけさえします。
ストレス社会が良い例です。

そして傷ついているのは、子どもや若者だけでは
ありません。その親の世代もまた傷つき、混迷し、
世間体などにとらわれ愛を失っているのです。
そんな愛を知らない親や社会によって
育てられざるを得ない時代です。

わたしたちは、潜在的に無償で
限定のない愛を受けたいと望んでいます。

これは、一般的に言えることです。

特にそういうことを望み好む人が
あるのではないでしょうか。

合掌
S先生のお名前記す

この次のメールで、S先生は、こんなこともおっしゃっていた、「一般に親は、赤ちゃんに対して無償の愛を注ぐものです。神様は、大親みたいな存在だと考えたら良いと思います。」と。

つまり、唱題プラクティスを行うと、その人が愛に足りている、足りていないに関わらず、時として私のように天女に抱きしめられることもある・・・ということ。そしてその瞬間を体感できることもある・・・ということである。私はこれでようやく腑に落ちた。

今回いただいたメールの中で、私が気づいたことがもう1つある。私が変換した太文字の部分である。この部分をもう一度、下記にてご覧いただきたい。S先生は冒頭でこうおっしゃった、

私が、唱題をはじめた頃ですが、
それはもう仏様と天人(霊)の愛を受け続けました。
その無限の愛の中で
わたしは、育てられたのです

と。

唱題プラクティスを行うと、その人の潜在意識を掘り起こして、不必要なものを浄化し、そして、その人にとって必要のない霊、つまり除霊も行ってくれる。それが唱題プラクティスの力であり、役目なんだと、私は何となくそう思っていた。でもまさか、仏様や天の愛までも受けれるとは、夢にも思っていなかった。

しかも・・・だ。しかもS先生はその愛の中で育てられた・・・というのだから驚きだ。「育てられた? S先生が?」と、私は正直そう思った。

どういう事かというと・・・。S先生が祈り(唱題プラクティス)を極めた結果、引導が出来るようになった(引導とは、死者を慰め癒し、向こうの世界へと、確実に送り届けること。そしてその一部始終を僧侶が体感すること)。この引導が出来るようになってはじめて、死者(霊)の苦しみや悲しみ、痛みまでもが、ご自分の体感で理解出来るようになる。その体感を繰り返した結果、つまり、霊や人の痛みが手に取るようにわかるようになったから、だからS先生は愛に満ちた人になったのかと思っていた。

S先生はいつだってすごくお優しい。私にこうしなさい、あーしなさいとか、そういうことは一切おっしゃらない。唱題を教えてあげているんだから、だからこうしたらダメ、あーしたらダメとかね、そういうことすらおっしゃることはない。一度も・・・だ。S先生は、ふか~い意識の部分で、恐らく、不安とか、恐怖心がないんだと思う。多分ね。多分よ。

S先生のお話はともかく、唱題プラクティスを行うことで、たったそれだけでね、神仏の愛も受けれるとは、私は本当に知らなかった。この事は、私にとってかなりの衝撃だった。

頑張って心のトレーニングをしなくても、神々の力を借りちゃった方が早い場合もある。私は、ふとそんな風にも思った。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2018年3月1日

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