【霊的世界70】 超リアル、亡くなった人のお話 ~向こうの世界で見たものとは~ パート2

私はS先生(日蓮宗・ご住職・男性)にその動画をお送りした。その際に、そのような体験について、私は2つのことをS先生にお聞きしてみた。

  1. 彼女のような体験はあり得ると、私は何となくそう思ったのですが、S先生はどう思われますか?
  2. 彼女が、もしあのまま向こうの世界へ行ってしまったとしたら・・・、あるいは彼女が仏教徒だったら・・・という設定でのお話ですが・・・。彼女の場合、肉体から離れた後、とても心が満たされているようだったので、こういう人の場合、お坊さんの引導(いんどう)というものは、必要ないんじゃないか・・・って思ったのですが、S先生はどう思われますか?

引導とは、わかりやすくいうと、他界された人が、心安らかに向こうの世界に行けるように、僧侶の祈り(妙法)によって導かれること。この場合、葬儀や法要を通じて、僧侶が霊的存在との対話が出来ることが前提になる。高度な技術と究極的な祈りが必要になる。現代の日本において、この引導の完成者は、非常に少ないと言われている。

上記2つの質問に対して、私はS先生からご回答を得ることが出来た。

1.について、S先生は、

「これに似た体験もよく聞きます。もちろん(こういう体験は)あり得ることです。」

と、そうおっしゃった。「やっぱりそうだったんだぁー・・・」と、私はそう思った。

2.については、S先生はこんな風におっしゃった、彼女は、役目があってこの世に戻ったのだと。普通の人達が考える善悪を超えた世界があり、その善悪を超えた世界こそが、本来の姿である・・・ということを伝えるために。そして人々が、取るに足りないことに執着して、そのためにどれだけ争いや悲しみが絶えないか・・・ということに気づかせるために・・・である。

S先生のお言葉は、更にこう続いた、

「それから彼女自身にとっても、この世に戻ってくることに意味がありますね。この世にこそあの世の感覚をもたらす、ということが生きる意味であり、実践すべきことだからです。あのままあの世に行ってしまったのでは、意味がないです。

そうですね。(この女性の場合、)引導は必要ないかも知れませんね。それよりも真の僧侶菩薩心を持った人々と共に切磋琢磨しながら、より深く、より多くの人々を救って欲しいと思います。」

と。

彼女はクリスチャンだが、S先生のおっしゃる僧侶とは、聖職者という意味でお使いになったそうだ。魂の成長を自ら目指し、他をも導く人々・・・という意味。彼女自身が、既にそのような人なのではないでしょうかと、S先生はそうもおっしゃった。

そして、菩薩心とは、「自分のためだけでなく、他人や他の生物や環境のために行動する人」のことを言うそうだ。「(彼女があの動画の中で)私達が、普段いかに小さなことにこだわって、愛(慈悲)を失っているか。愛に気づくべき・・・」と言っている点は、仏教にも、キリスト教にも、共通の最重要なメッセージだと思います、とS先生はそうもおっしゃっていた。

彼女は、恐らく、比較的純粋な心を持っており、その純粋さに彼女自身も気づかなかったかも知れない。そういった体験をすることによって、そうした心の扉が開かれたのでしょう。しかし悪業の深い人などは、そういう訳にはいかないそうだ。地獄のような場所を体験する人も少なくないという。

但し、地獄のような所に行く人でさえも、その心の深いところには、愛や慈悲に満ちた心が存在している・・・とされているそうだ。仏教では、このことを「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」といい、生きとし生ける者は、すべて仏陀となる素質をもっている・・・と説かれているという。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2017年10月1日

【広 告 (Advertisements)】