【霊的世界67】 お釈迦様やお釈迦様のお弟子さんたちの空中浮遊 ~瞬間移動も出来た~ パート5

「おはようございます。 ご理解いただいたようで有難いです。このことを世に知らせることは、今日意味があることと思います。」とし、S先生(日蓮宗・ご住職・男性)は、更にお言葉をお続けになった。

今回のこのシリーズを一般公開するにあたり、空中浮揚に関して、これこれしかじかな解釈でよろしかったでしょうか・・・といった最終的な確認のメールを、私からS先生にお送りした。すると、この記事の、冒頭の一節からはじまったS先生のお返事が届いた。私(乃風)が解釈した趣旨や内容と同じだが、再度S先生が自ら見解を申し上げたいとし、以下については参考にされてください・・・とのことだった。今日は、以下全文をご紹介したい(青い文字:私、乃風記す)。

神通力(Super natural power と訳されるようですが)、すなわち通常を超えた力に対して多くの人は、深い関心を持ち、尊敬の念を抱くようです。確かにそれによって勇気や希望も涌いてくる。そして困難や絶望の淵から救われたりするのです。

大切なこと(ブレてはならないこと)は、まさに勇気と希望が湧いて難題に立ち向かいながら、”たましいの成長”をとげてゆくことにあるのです。目的は、”たましいの成長”にあります。神通力は、そのための手段のようなものなのです。

しかし神通力は、とても超越的な現象なので、人は手段である神通力の方に心を奪われやすい。そのために神通力の獲得が目的化してしまい、”たましいの成長”というほんらいの目的を忘れてしまいやすいのです。そこに、劣等感を覆い隠したい、他人より優位に立ちたい、それによって人を惹きつけてコントロールしたい・・・といういうような煩悩・欲望が、絡み合ってくると最悪の状態になってしまいかねないのです。

もちろん、そこがブレない人もいますが、必ずしも多くはありません。そこで、そのことを知る人は、神通力を前面にだして、ひけらかすようなことはしないのです。

ただし、それは神通力が発揮されないということではありません。”たましいの成長”をとげてゆく・・・という文脈の中で必要に応じてあらわされたりするのです。 それは、ありがたく享受しましょう。 そして、その不思議さを味わったなら、そのことに執着することなく、その先へ、つまり、本道である”たましいの成長”の道を歩んでゆきましょう。

ちなみに御経(法華経  如来寿量品ーほけきょう  にょらいじゅりょうほん)によると、如来が秘密にして滅多にあかすことのない神通力とは、成仏なのです。ここにおいては、目的と手段が一致しているのですね。

成仏と言っても、通常われわれがイメージする成仏という内容とは、異なります。

もうひとつ大事なことは、真の神通力とは、そもそも私たちの個人的な念力や能力を超えたものなのです。ですから私は、神通力を起こそうと思って起こるわけではないのです。起こしてくださるのは、永遠の生命を持った仏陀。

私達が、誠実に”たましいの成長”をとげようと努力するのを見て、時に大いなる仏陀(妙法)が、不思議な力を発揮してくださるのです。

こう言うわたしにも、かつて個人的な念力によって、他者のさまざまな病気を治したということもありました。しかし、それはただそれだけのことで、それが出来たからと言って、”たましいの成長”につながってゆかないのですね。

それに自家発電みたいなものなので疲れてゆく。そして、それだと私がいなくなると無くなってしまうものなのです。

合掌
○○ ←(S先生のお名前記す)

私はこのメールを拝見した時、「こんな事をおっしゃるなんて、すごいわ!」と思った。

眠れる予言者エドガー・ケイシーさんによると、歯をむいて笑うあのチェシャー猫の笑い方は、地上を反映したものだから、あまりよろしくないらしい。ちょっとだけ歯を見せて微笑むのがいいそうだ。でも、私はそのメールをS先生からいただいた時、感動のあまり、思わずチェシャー猫のように口角が吊り上がった。

チェシャー猫

チェシャー猫とは、ルイス・キャロルさんの児童小説「不思議の国のアリス」に登場する猫のことである。覚醒時のエドガー・ケイシーさんが、そう言ったのならまだしも、リーディングを取っている最中に、エドガー・ケイシーさんがそう言ったのだ。リーディングを取っている最中は、エドガー・ケイシーさんは眠ったような状態だから、意識や記憶が全くない。「エドガー・ケイシーさんは、そんな事(チェシャー猫のこと)まで知ってるの? すごいよぉー!」と思い、当初、私は随分と驚いたものだ。

今回の神通力について、難しいことを言われてもわからない。それこそ小学生に話すみたいに教えてもらえたことで、私は漸く理解出来た、但し1点を除く限り。

S先生は、同メールで、こう書かれた「成仏と言っても、通常われわれがイメージする成仏という内容とは、異なります。」と。

この一節について、私は、もう一度S先生に問い合わせてみた。この事で、私はえらく勘違いしていた。完全に、想像力の膨らませすぎだった。

(続く)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2017年9月27日

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