2000年3月に、ノンフィクション作家の立花隆さんが、「臨死体験(上・下)」を出版されましたよね。私も読みました。結構、その時、衝撃を受けたのを、今でも覚えています。とにかく膨大な量の、そういった体験者のお話が書かれていました。
で、結局、立花隆さんとしては、臨死体験や体外離脱について、どう思っているか・・・ですよね。そこが一番気になるところ。
立花隆さんとしては、どうも、そういった世界のことは、否定的な感じでした。どういうことかと言うと、どんなに臨死体験や体外離脱をした人達の情報を集めたところで、そういう世界があるということを証明したことにはならない・・・とかなんとか、そんなような事を、本の最後の方で述べられていました。
「立花隆さんらしいな・・・」と、私はその時そう思い、妙に納得してしまいました。
私に祈りの礎を築いてくださったS先生(日蓮宗・ご住職・男性)に、いつだったか何かの話の流れで、魂の存在について、お聞きしたことがありました。
すると、S先生は、これが幽体ですよ・・・とか、あれが霊体ですよ・・・とか、そのように検証したことはないですから、わかりません。・・・でも人間は、何かしらの霊的な存在だと思いますと、そんな風におっしゃっていた。
S先生は、とんでもないお坊さんで、「仏教界のエドガー・ケイシー」なのです。そうです、あの眠れる予言者エドガー・ケイシーさんのことです。なぜそんな事がわかるのですか・・・と思うような事を、S先生は次々と言い当ててしまうのです。言い当てるというより、体感でわかってしまうみたいです。見た目は普通のお坊さんなのですが、一旦祈りに入ると、まるで別人と化す。現代では、霊能力や超能力といった、特殊な力を持ち合わせた僧侶は、意外と少ない感じです。
世界的に大ブレイクした「神との対話」という本の中で、ずっと私の心に小さな疑問として残っていた一節がありました。
それは、人が、愛する家族を残してこの世を去っても、向こうの世界に行けば、地上に残した家族が出迎えてくれる・・・という不思議な一節です。「はぁ~?」ですよね。
人が肉体の死を迎えると、肉体から幽体が抜け出し、そして初七日に、今度は幽体を脱ぎ捨てて、人は最後には霊体になる。霊体になって初めて、行くべきところへ行けるようになる・・・と、私はなんとなくそう思っていました。
でも、この考え方だと、先の「神との対話」の中で語られていた内容に、整合性が欠けることになりますよね。
私の知り合いで、天界と通信を取れる人がいるのですが・・・。彼女の話によると、自分の幽体などの霊的存在は、別の次元に存在しているそうです。
このことを知った時、私は、ようやく腑に落ちました。
不思議な世界ですよねぇ~・・・。
(完)