【霊的世界55】 手足が追いつかないほど背中から吹き飛ぶ ~僧侶の体験~ チャクラ感覚

先々月(2017年3月)の18日の晩、私は、何か用があって、S先生(日蓮宗・ご住職・男性)のお寺にお電話を差し上げた。S先生に直接教えていただきたい事があったのだが、それが何だったのか、今となってはちょっと思い出せない。この記事を書いているうちに、もし思い出すことがあれば、追加してお話していこうかと思う。

そのお電話で、S先生と色んな話題になった。あれこれ40分、おしゃべりした。以前にも少しお話したと思うが、S先生は、ご自分のお寺であったことを、自らペラペラとしゃべることは、基本的にはない。ただ、今回も私が、随所にとても興味を持ち、それでその都度お聞きしたから、S先生がお答えになった・・・ということである。この点をよくわかっていただいた上で、この記事を読み進んでいただけると、非常にありがたく思う。

S先生はご自分のお寺の本堂で、ある相談者の方々と一緒に、いつもの祈りを行ったそうだ。祈りとは、唱題プラクティスのことである。唱題プラクティスのメインは、南無妙法蓮華経で、これを一心に唱えていくことである。

その日の祈りがはじまって間もなくすると、S先生の背中で太鼓が「ドーン! ドーン!」と、突然鳴り響いたそうだ。S先生のお話の感じだと、ものすごいパワーのある音だったようだ。その音を真似たS先生のお声がとても迫力あったので、私はその時点で、「えーーーっ!」と驚いたが、その直後から、あろうことか、私はクスクスと笑いはじめてしまったのだ。その爆音のせいで、手足が追いつかないほど、S先生は背中から吹き飛ばされたんじゃないか・・・って思ったからだ(そりゃ、笑うよぉー!)。S先生が静かに、一生懸命話されているのだから、笑っちゃいけないと思い、私は必死になって笑いをこらえた。これがまたきつかった!

太鼓が鳴った・・・といっても、それは、ここ地球の、私たちが知る普通の世界でのお話ではない。なので、その時に唱題プラクティスに参加していた人達には、その太鼓の音は聞こていないと思う。恐らくそういうことなんだと思う。理解しにくいと思うが、その音は、S先生の身体の中で起こったのだ。深い意識の層で祈ると、そういう現象が起こるようだ。

「その太鼓が鳴り出した時、S先生はどう思われたのですか?」と、私はS先生にそのお電話でそうお聞きしてみた。すると、S先生は「あら、今日は何かしら・・・」と思ったそうだ。それを聞いた瞬間、私は「プッ、プッ、プッ・・・」と、吹き出して笑いそうになった自分の口を、慌てて抑えた。

そのお電話で、S先生は私にこんなお話もしてくださった。中学だか、高校への受験生がいて、その生徒さんが狙った学校は、かなり名門中の名門だったそうだ。ところが、大事な受験の最中なのに、勉強が全く手につかなくなってしまったそうだ。「落ちたらどうしよう・・・」とか、あれこれ考えてしまったのでしょう、きっと。あるいは不安になる何かがあった・・・ということなのかもしれない。

とにかくどうにもならず、それで口コミでS先生を頼って、S先生のお寺に親御さんだけが、相談しにやってきたことがあったそうだ。ご本人は受験に対する緊張感と動揺が激しく、とてもじゃないけどお寺にも来れる状況ではなかったそうだ。子供の受験のことで、親御さんだけがS先生のお寺に来るケースは他にもあったそうだ。

その親御さんから事情をお聞きしたS先生は、内心、受験は無理だと思ったそうだ。かなりの名門校を希望していた事や、ご本人の今の精神状態、そして何よりご本人がお寺に来て一緒に祈るわけでもない。こういう状況下で、果たして祈りでそういう事をしてもよいものだろうか・・・と、S先生はそんな風にも思ったそうだ。

でも、親御さんお二人が揃って、必死になってS先生を頼ってお寺まで、既に来てしまっている。お二人のお姿や姿勢も拝見し、S先生は、「よし、じゃ、やってみましょう!」と、決断されたそうだ。それで、本堂でいつもの祈り(唱題プラクティス)を3人で行ったという。

その唱題プラクティスの中で、S先生は、ご自分の胸元で何かが詰まるのを感じたそうだ。S先生は霊が現す鏡なので、S先生の身体の中で何が起ころうとも、S先生はただ黙って見守っているだけなのだ。

S先生が、例えばうまくいきますように・・・とか、お願いします・・・とかね、そういうご自身の希望なり、お願いを持ったまま祈ると、祈りの中で霊的現象が起こった時に、それが誰の思いなのか、誰からのメッセージなのか、どんなメッセージなのか、その霊が男性なのか、女性なのか・・・あるいは胎児なのか・・・、そしてどういう亡くなり方をした方なのか・・・など、そういった詳細がわからなくなってしまうようだ。

自分の希望を言ったり、お願い事をする祈りがいけないと言っているのではなく、S先生はそういう祈り方はしない・・・という意味である。少なくとも、唱題プラクティスや葬儀、供養でも、スタンスは同じで、ただ一心に祈る・・・ということのようである。

その胸元の詰まりを体感したことで、S先生は、その受験生の2次面接試験でそういうことが起こるとわかったんだそうだ。それで、S先生はその場で、お札を作ったという。S先生は何やら文字を書いて、これをお子さんに渡してくださいね、と言い、そのお札を親御さんに手渡したそうだ。

後にわかったのだが、そのお札を手にしたそのお子さんは、その時から徐々に落ち着きを取り戻し、やがて勉強も出来るようになり、結局、その難関校と言われていた学校を、見事に突破したという。

同じような相談で、S先生のお寺にみえたもう1組の親御さんのお子さんも、受験で、見事に合格を果たしたそうだ。この時の唱題プラクティスが、どういうものになったのかは、聞いていないのでわからない。しかし、他人事ながらもその合格結果に、私は一緒になって喜んだ。

不思議なことが起こったのは、この辺りからだった。時計を見たら、S先生とそのお電話でおしゃべりしはじめて、既に30分が経過していた。突然、私の胸元が、直径およそ3センチ位の領域で、いきなり振動しはじめたのだ。弱い振動だったが、最初、「何だ、何だ、これは・・・」と思った。位置的にいうと、体表のアナーハタ・チャクラではなく、それよりも1つ奥にある神経叢(しんけいそう)のアナーハタ・チャクラだと思われた。神経叢のアナーハタ・チャクラの方が、深みがあるので、その違いがすぐにわかった。これはあくまでも私の感覚だが。

以前に、どこかでお話したと思うが、体表のアナーハタ・チャクラなら、一度振動したことがある。S先生にはじめて唱題プラクティスを教えていただいた時である。神経叢のアナーハタ・チャクラと思われる振動を感じ取ったのは、今回がはじめてだった。

そもそもなぜこういうことが起こるのか、なんのために起こるのか、なんだかよくわからないが、そういう不思議な事が、そのお電話での最後の10分間、ずっと続いたのだ。不安感はなかったが、やはり、ちょっと驚いた。

あまり長話になると、S先生にもご迷惑がかかると思い、40分が過ぎたタイミングで、おしゃべりを終わりにさせていただいた。受話器を置いたら、幾ばくもせずに、その小さな振動が「スーッ!」と消えていった。今考えても、本当に不思議に思う。

チャクラに関しては、あのエドガー・ケイシーさんも言っていた。こういう体験をすると、目には見えないが、やはりチャクラは、感性を磨いていくと、本当は誰でも体感できるものなのかもしれないなぁーって、思った。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2017年5月4日

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