夢解釈シリーズは、久し振りの投稿になる。これまでずっと連番で書いてきているので、「次は何番だろう・・・」と思い、それを確かめるために「サイドバー」へ行った。そこで「カテゴリー」の中の「夢解釈」をクリックしたら、最終記事がトップに現れた。それを見た私は、「あ、そうだった! そうだった!」と思い、最終記事で取り上げた大橋巨泉さんのことを、ふと思い出した。巨泉さんはマルチタレントとして人気を博し、ジャズもとてもお好きだったそうだ。
ここで既に巨泉さんのその記事を読まれた方は、もうある関連性にお気づきになったかもしれないが、その時の夢解釈について、もう少し補足しておくことにする。
去年の(2015年)12月13日の晩に、私は大橋巨泉さんの夢を見た。その「7ヶ月後」の今年(2016年)7月12日に、巨泉さんが亡くなられた(享年82歳)。巨泉さんが亡くなられた「7日後」の19日の晩に、私は巨泉さんが既に亡くなられたことを全く知らないまま、巨泉さんを暗示したかのような夢を見た。三途の川は、死後「7日目」に渡ると言われている。そう、私は正にその時期に、偶然にも巨泉さんに関連した夢を見たのだ。先の7か月後の「7」、7日後の「7」、そして三途の川は死後「7日目」に渡る・・・のその「7」という数字に対応している惑星がある。それは「天王星」である。
以前にどこかで少しお話したかもしれないが、「天王星」と「海王星」は、組成や内部構造が非常によく似ていることから、「双子の惑星」とも言われている。巨泉さんの生年月日(1934年3月22日)から割り出すと、巨泉さんは「海王星」の出身者である。「海王星」は、そう、今お話した「天王星」と「双子の惑星」である。エドガー・ケイシーさんのリーディングによると、「海王星」は「水」とのつながりが強い。私があの夢の中で立ち往生した場所こそ、歩道橋の泉だった。泉とは湧き出た「水」のことである。三途の川も「水」である。三途の川を渡るのは「死後7日目」と言われている。「7」という数字は、「天王星」を表している。「天王星」と「海王星」は「双子の惑星」である。三途の川も歩道橋の泉も「水」である。「水」は「海王星」とのつながりが強い。「海王星」は巨泉さんの出身星である・・・。
・・・こういったつながりが光に勝るとも劣らないスピードで思考回路を一気に駆け抜けると、夢を見ただけで、瞬時におよそのことがわかってしまうこともある。それどころか、夢は進化していくようにも思う。つまり、夢の質はとどまる所を知らず、常にバージョンアップしていく・・・という意味である。断定はしない。でも、どうもそんな感じがするのだ。エドガー・ケイシーさんが、睡眠時の夢解釈をおススメしていたが、なんかわかる気がした。バージョンアップのその1例が下記の通りである。
今月1日火曜日の夜(2016年11月)に、私は自宅の一室で、1人静かにマントラを唱えていた。マントラとは、真言のことである。決して、怪しげな新興宗教を信仰しているわけではなく、宗教とは一切関係がない。一旦、そういった祈りに入ると、中断ができない。その人のペースにもよるが、全ての祈りが終わるのに、およそ1時間半から2時間かかる。今の私なら、大体1時間半で終わることが多い。心を静めて、ただひたすら1時間半、マントラを唱え続けるのだ。
その晩、私はいつものようにマントラを唱えていた。3分の2までの祈りが終わり、あと残りが3分の1まで到達したその時点で、とても不思議なことが起こった。「スーーーッ」と私の意識が遠のき、下に降りていく感覚があった。
私は静かに目を開けると、私は合掌をしていた。そして、さっきまで私が唱えていたマントラとは違って、なぜか私は「南無妙法蓮華経」とひたすら唱え続けていたのだ。辺りは草木があふれた緑色の平原で、よく晴れた日のことだった。私はその平原で、椅子に座って「南無妙法蓮華経」を唱えていたが、よく見ると私の右側に100人から200人位の人が、私と同じように前を向いて椅子に座って、そしてみんなが合掌をしたまま「南無妙法蓮華経」を唱えていたのだ。彼らが座っていたすぐ横には、深緑色の大きな樹木が何本も立っていたが、その並木を超えた向こう側にも同じような人たちがいて、一緒に祈っているのが見えた。
そういった状況を一応に把握すると、今度は私は上へ上へと昇っていく感覚があった。ここからがホントきつかった! どういう事かというと、「そうではない・・・」とか、「そういう意味ではない・・・」というような思いや意識、あるいは感情が、私の内側から次々と出てきて、加速して上昇していけばいくほど、そういったエネルギーが出ては消え、出ては消えを、延々と繰り返したのである。「嫌な感情が抜け出ていったんだから、よかったじゃない。」と思うかもしれないが、あたかも自分の意識であるかのようにその瞬間を味わうのだ。これがかなりきつい! ホントきつかった! なんて言うか・・・、誰かに何かを誤解されている・・・というその最中の感覚だったのだ。誰の感情なのかはその夢の中では私は全くわからなかった。どちらにせよ、とにかく精神的に苦しいってもんじゃなかった。本当に不思議な体験だった。
ある程度の域を突破した段階で、私は、ふと目が覚めたのだ。あの広々とした平原でみんなと一緒に快く「南無妙法蓮華経」を唱えて、その後私1人が上昇し、そして目が覚めるまでを時間にしたら、わずか5分か10分程度の出来事だったと思う。ところが、実際は1時間半も経過していたのだ。私は慌てて残りの3分の1の祈り(マントラ)を唱えた。
その時の夢を私はこう解釈した。夢の中で、私の右側に100人から200人位の人がいたが、右は地図でいうと、東を表す。100人から200人の人達は、お弟子さんや信者さんだと解釈した。なぜなら、現実の世界では、ご生前のお釈迦さまはいつも東に向いてみんなに説法をしておられたので、「東に向く」とは、地図でいうと、左側を表すからだ。左は西を表し、右は東を表す。左側にお釈迦さま、右側にお弟子さん、あるいは信者さんらが配置されていた・・・という位置関係で解釈した。
そして、その夢の中で、みんなで「南無妙法蓮華経」を唱えていた事なども考えると、私が夢の中で体験したことは、恐らく、S先生のことなのかもしれない・・・と、私はそう気づいた。S先生とは日蓮宗のご住職で、これまでに幾度となくこのサイトでお話してきたお方様のことである。
S先生は私に何か伝えたいことがお有りなのかもしれないなぁ~・・・と、私はそうも思った。案の定だった。その翌日の朝8時半頃に、なっ、なんと、S先生からとても心温まるメールが来たのだ。これには本当に驚いてしまった! その時のメールの内容は省略するが、たった1時間半の短い睡眠時間でも、やはり夢はどうも見れるみたいだぞ・・・ということがわかった。私にとって、これは大きな発見だった。ほんの少しだが、エドガー・ケイシーさんのリーディング方法のコツ、なんかわかる気がした。
今回の夢で私が見た平原の様子に、出来るだけ近いイメージ動画をユーチューブで探してみた。すると、すぐに見つかった。aomorigontaさんの「Landscape Time Lapse 4K #01」という作品である。映像も楽曲も雄大で、本当に素晴らしい! 特に私が心引かれたのは、海辺の枝が立体的に見えるシーンだ。「オォー」と思った。
(完)