前回の夢解釈をもう少しわかるように書いておこうと思う。
その男性は、立てこもりから7時間半後の午後1時半頃に、遺体で発見されたそうだ。
心が痛む事件だった。みんなの心が少しずつ癒えていったらいいな・・・って、そうも思った。
ご自宅に立てこもったその男性は、元自衛官だったそうだ。その事がわかった時、「あ、だから、その象徴として、スポーツシューズだったのか・・・」と、私はそう思った。あのような人達は、普段からトレーニングを積んでいる。
私がその夢の中で見たスポーツシューズの袋の色は、白と黒だった。これは、葬儀とか、死とか、別れを意味すると、私はその時そう解釈した。この事は、残念ながら亡くなったその男性(立てこもった本人)を、象徴しているように思えた。
そこの家の愛犬が、その後どうなったのかはわからないが、立てこもったその男性が、猟銃のようなもので、その愛犬に発砲したという。夢の中の「カルマが付くよ!」の意味は、これだったのかな・・・って、私はそう思った。
夢の中で現れた散らかった倉庫は、その男性が家で暴れたと思われる行為や、その男性の心の中を暗示しているようにも思えた。
その倉庫自体は大きかったので、その男性が抱えていた心の問題も、相当大きかったんだろうなぁー・・・と、私はそうも思った。
今回の睡眠時の夢で、1つ気になることがある。それは、私の心の中からあのような声が聞こえたことである。
以前と比べて、明らかに夢の内容が変わってきている。不思議に思えてしょうがない。
折りを見て、S先生(日蓮宗・ご住職・男性)に、少しお聞きしてみようかと思っている。
「お坊さんに非現実的な、そんな夢のことを聞いてどうするの? 相手は出家している人よ。」と思うかもしれない(思わないかもしれない)が・・・。
S先生は、祈り(唱題プラクティス)を通じて、現代人が足を踏み入れたことがない領域を、見事に復活させた。以前に、ここで少しお話したことがあったが、つまりそれは、引導のことである。昔の僧侶は、みんなこれが出来た。そういう能力を開花させた修行僧だけが、師匠に指名されて、お寺を継承していった。勿論、お寺を継承していく上で、他にも大切な要素はあると思うが。
引導とは、まず死者を祈り手である僧侶の身体に呼び込むことから始まる。厳密に言うと、S先生自らが亡くなった方の霊を呼び込むのではなく、妙法がそういった過程をS先生の身体の中で表現するのだ。傍で見ていて、どうもそんな感じだ。
この引導が起こると、亡くなった方の意識や心や感情が完全に解き放たれ、ただ単に癒されるだけではない。それどころか、これからの死後の世界において、その霊が喜びに満ち溢れ、躍動感を持って邁進できる状態になる。その時に、S先生の肉体からその霊が抜け出ていく。つまり、向こうの世界に送り出す瞬間である。これはほんの一例だが、これが引導である。
つまり、亡くなった方が、何をどのように悩み、苦しみ、そして、その方の意識や感情が解放されるその過程やその瞬間までも、全てS先生の身体の中で起こる。なので、S先生にはその霊の状態が、全てわかってしまう。すごいエネルギーのやり取りよ。それこそ、「マイクでも使っているのですか?」と、S先生にそうお聞きしたくなるほどだ。
中には、夢見心地の霊もいたかもしれない。S先生は、唱題プラクティスの修業を積まれていくその中で、数多くの経験をされている。「何かご存じかもしれない・・・」と、私はそう気づいた。
(完)