【霊的世界45】 他界した人と出会う ~再会の喜びと癒し~ 僧侶の超能力がすごい!

「どうですか? 何か・・・ございますか?」と、S先生が、優しく、とてもゆっくりとした口調で、そうおっしゃった。いつもの唱題プラクティスが終わった直後に、お寺の本堂で開口一番、S先生がそうおっしゃった。

S先生とは、日蓮宗のお尚さんのことで、ご住職である。男性の僧侶さまだ。これまでにこのサイトで何度かお話してきたお方さまのことで、私に本格的な祈りの礎を築いてくださったお方さまである。

唱題プラクティスとは、「南無妙法蓮華経」と口に出して、お尚さんと一緒に、一心に唱えることである。そう、ただひたすら一心に・・・だ。その時の祈り(唱題プラクティスのこと)にもよるが、1回の祈りは、大体30分から40分程度である。その祈りを何回か繰り返すのだが、勿論、間に10分か、15分程度の小休止も入る。

「そんなもん唱えて、何が面白いの?」と思うかもしれないが(思わないかもしれないが)、美しいという域すら超えたS先生のお声と共に唱え続けていくと、これがまた不思議な事に、自分の周囲に天女でも降りてきたんじゃないか・・・というような感覚になるのだ。

でも、だからと言って、例えば、自分の意識が舞い上がっちゃって、どうにもならなくなる・・・とか、やたらと人に椀飯振る舞いをしたくなる・・・とか、そういう意味ではない。常に冷静な自分はそこにいる。だから心配はいらない。S先生の祈りは、本当に不思議なのだ。

その祈りが終わると、S先生は、通常、こうおっしゃることが多い。例えば、私のご先祖さまのことで、これこれしかじかな方がおられますか? とか、こうこうこうゆう感じでこちらの世界を去った方がおられますね、とか、時には、具体的に「ここの病気で他界された方がおられますね・・・」とおっしゃり、S先生は、ご自分の胸を「トントン!」と軽く叩かれて、病状まで言い当ててしまうのだ。

私は、その時に、S先生に「あ、私の祖母は心臓が弱く、その病気で他界しているんです。祖母のことでしょうか?」と申し上げた。すると、S先生は、少し間を置きながら、ゆっくりとしたお優しいお声で、こうおっしゃった、「いや・・・、そのお方では・・・ないですねぇ~・・・。」と。

S先生によくお聞きしてみると、その人は、心臓ではなく、呼吸器系の病気で、しかも女性ではなく、男性だと、そうもおっしゃったのだ。しかも・・・だ。S先生は、その唱題プラクティスの中で、熱心に祈る人のお姿や波動も感じ取られたようで、「とても熱心に、何かを信仰されているご家庭なのだと思いますよ。」と、S先生はそうもおっしゃったのだ。

私はその時、随分と思いを巡らしたが、全くわからなかった。すると、S先生が、「ま、そのうちわかりますよ。」と、相変わらずお優しい口調で、そうおっしゃったのだ。

ところが・・・だ。その翌日になって、私は急にこう思い出したのだ、「いっ、いっ、いたぁーーー!」と。私の叔母が嫁いでいった先の亭主(私の叔母の夫)が、随分前に、肺の病気で他界していたことを、急に思い出したのだ。しかも、そこの家は、信仰心がとても厚く、お姑さんやお嫁さん(私の叔母)をはじめ、家族のみんながしょっちゅうお仏壇の前で拝んでいる家系だったのだ。

何もかもが当てはまっていただけに、私は本当に驚いてしまい、慌てて、震える手でs先生のお寺へお電話を差し上げ、そしてその事をS先生にお伝えしたのだ。すると、S先生は、「そうです。そのお方です。」と、そうおっしゃったのだ。「わかって、よかったですね。」と、S先生はそうもおっしゃってくださった。あの時は、本当に驚いたってもんじゃなかった。

このように、唱題プラクティスが終わった直後は、殆どの場合、S先生から何らかのお告げがある場合が多いのだが、その日に限って、S先生は、唱題プラクティスの参加者に向かって、冒頭の通りで、「どうですか? 何か・・・ございますか?」と、そうおっしゃったのだ。

なので私は、「よし!」と思い、思い切ってS先生に、こうお聞きしてみた。片手を右前方に指し示した私は、「ここで、何かが動く感じがしたのですが、これは何ですか?」と。

どういう事かと言うと、まんだらや日蓮大聖人の像などが安置されているご宝前の右側は、普通の壁になっているのだが、その辺りから、確かに何かが動いている感じがあったのだ。唱題プラクティスがはじまってからしばらくして、私はその異変に気づいた。

最初は、「なんか騒がしいなぁ~・・・」と思い、目を開けて、そこに視線を飛ばしたが、何も見えなかった。「気のせいかなぁ~・・・。でもなんか変だなぁ~・・・。」と思いながらも、再び祈りに集中した。でもやはり、何かが動いてる気配があって、それがなかなか止まらなかったのだ。

しかも・・・だ。1体じゃないのだ。3体、4体と、ゾロゾロと何かが動くのだ。やがてその動きが、どうもこっちの世界に出てきているんだと、わかった。そのうちに何体かが、出てきたところから中に戻っていく感じまでわかってしまったのだ。

祈りながら、私はこう思った「ここ(本堂)は、お化け屋敷か?」って。笑うかもしれないが、本当にそう思ってしまったのだ。異次元をつなぐポータル(玄関とか、入り口という意味)があの場所にあるのかもしれないなぁ~・・・と、後になってそうも思った。

その動くものとは、一体何なのか・・・だが・・・。S先生にその祈りの直後にお聞きしてみたところ、S先生はちょっと驚いた様子をお見せになったのだ。そんなお姿を拝見した私は、逆に私まで驚いてしまった。「え? 何? 何?」って、思ってしまったのだ。

S先生のお話によると、そこは、今は壁になっているが、神棚を作ろうと思っていた場所なのだということがわかった。この事を知った私は、結構、仰天してしまった。何かあるとは思ったけれど、そういうことだったのかぁー・・・と思った。

どこかのページで既にお話したかと思うが、お寺にはお寺を守る神がいるのだそうだ。唱題プラクティスは、正に、目に見えない大きな力に守られながら行われているのです・・・と、S先生はそんな風にもおっしゃっていた。

エドガー・ケイシーさんのリーディングファイルによると、「直観」は、意識がある状態の中でサイキックな力を表現するものであり、「夢やヴィジョン」は、無意識状態でサイキック能力を体験し、そしてそれは最も安全で、直接的な方法なのだという。直観力を養うためには、①瞑想と祈り ②内なる自己を信じる ③入眠や催眠状態からくる感覚に意識を向けるといったものがおススメされているそうだ。

私はこの事を、日本エドガー・ケイシーセンターを通じて知ったのだが、結構、衝撃を受けてしまった。なぜなら、②はあまり意識していなかったが、①と③については、私がこれまでずっと積極的に取り組んできたことだったからである。

私は別に直観力を養いたくて、そういった事を特別に取り組んできたわけではなく、とても興味を持ち、実際にやってみたら、結構面白いと感じたからだ。ただそれだけ。でも、まさかそういった事が、自分の直観や感性を磨くことにつながっていたとは・・・。言われてみれば、そうかもしれないなぁ~・・・とは思ったが、私にとってこのファイルは、とても大きな励みになった。

S先生の超能力に関しては、今後も少しずつお話していきたいと思う。

(完)

 カテゴリー : 霊的世界 | 投稿日 : 2016年11月25日

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