そんなに次々と亡くなった人を成仏させてしまったら、「このお坊さんは実力がある!」と霊にそう思われて、「じゃ、私も!」「いや、次は僕!」「俺を先にしてくれよ!」とかなんとか言って、霊がこぞってS先生(日蓮宗・ご住職・男性)を頼ってきませんか? 大丈夫なのですか? と、私はかつてS先生に、そうお聞きしてみたことがあった。
こっちからは向こうの世界は見えないが、向こうからはこっちの世界がよく見えると、聞いたことがある。向こうの世界で、ついさっきまで悩んでいた霊が、光を与えられ、成仏していくのを見たら、そりゃ周囲の霊たちだって、誰が手を貸したんだ・・・という話にもなる。
「どうもお坊さんらしいぞ!」「どこのお坊さん?」「なんていうお坊さん?」と詮索され、その主がS先生だとわかると、向こうの世界に行っても成仏できない霊たちが、こぞってS先生に押し寄せ、それこそS先生の脚や首にしがみつく霊も出てくるんじゃないか・・・と、私は、ある時、ふとそう気づいた。
肩こりではなく、首こりの場合、霊に憑依されていることがあるそうだ。そんなような事を、銀座まるかんの創業者である斎藤一人さんが、そうおっしゃっていた。
斎藤一人さんは、知り合いの人達と恐山に行った時に、砂浜でカップルがこっちに向かって歩いて来たことがあったそうだ。その時に、そのうちの1人は、人間じゃなくて霊だったそうだ。斎藤一人さんは、見てすぐにわかったという。
斎藤一人さんには、その人が微かに透けて見えたか、あるいは微妙な波動を読み取ったのかもしれないなぁー・・・と、私は何となくそう思った。
一般的に人間からは霊は見えないが、霊からは人間が見えるので、自分は生きていたままの意識や気持ちで、生きている人間に接してくる。どうもそういう事らしい。
もしそういう事なら、尚更、地上で今生きている、力のあるお坊さんを頼りたいと、霊はそう思うんじゃないないの? と、私はそう気づいたのだ。S先生の霊力があまりにもすごいからだ。
ところが、S先生のお答えは、意外なものだった。今、ここ(お寺の本堂)で、一緒に祈っている人に関係する霊しか来ないのだそうだ。そうでないと、私の身体がもたない・・・と、S先生はそうもおっしゃった。次々に霊にたかられたんじゃ、私の身体がもちませんよ、ということである。
「身体がもたない? え? 身体がもたないの? やっぱりそうだったんだぁー・・・」と、私は即座にそう思った。
(完)