【夢解釈29】 夢の中にもう一人の自分 ~海が見える~ お経「龍宮」 壁を突き破る

睡眠時の夢の中に私がいて、そしてもう1人の私もそこにいた。どっちも私自身なのだ。こういう場合、2人の私を分けた方がわかりやすいように思う。

そこで、ここでの場合、「私」をまず3つに分けて考えてみることにした。表層の意識に近い順から、「顕在意識の私」→「潜在意識の私」→「無意識の私」という形にした。

「顕在意識の私」とは、ここ地球で、現実の世界で普通に暮らしている私自身のことである。それに対して「潜在意識の私」とは、睡眠時の夢の中で、中心的な存在の私のことである。そして一番深い意識の層である「無意識の私」とは、時空を超えて、未来をも見通せる私のことである。

便宜上、このように設定するだけで、これが、例えば学術的に正しいかどうか・・・とか、そういう議論を前提にしているものではないので、そこはどうかご理解いただきたい。このように、事前になんらかの取り決めをしておかないと、今回の夢は、どうも説明がつかないのだ。下記の夢は、今年(2016年)3月2日(水)の晩に見た夢である。

睡眠時の私の夢の中に、「無意識の私」がいて、前方を見ていた。その先に「潜在意識の私」がいた。「無意識の私」は、突然、S先生(日蓮宗・ご住職・男性)のことをキャッチした。S先生は、昨晩お仕事で遅くなり、今朝、たった今お寺に戻って来たこと、そして視察のお仕事があって、これから海洋に行く・・・と言っている・・・。このことを「無意識の私」がキャッチしたのだ。

「無意識の私」がキャッチしたことが、そっくりそのまま「潜在意識の私」に伝わった。言葉ではなく、想念で伝わったのだ。すると、「潜在意識の私」が、自分の家族に向かって、「S先生がこれから視察で、海洋に行くと言ってるよ。もう出かけたみたい。私たちも海に行ってみない? 行けば、そこでS先生に会えるよ、きっと。」と言った。すると、私の家族も、「じゃ、行ってみようか。」となり、気球と電車を乗り継いで、最寄りの駅で降りた。

改札口を出て、地上へと通じる階段を下りると、外はいつの間にか雨が降っていた。その階段を下りながら、前方を見ると、そこに傘を差した1人の女性が立っていた。全く見知らぬ人だった。彼女の髪は、茶色で長く、そして少しカールがかかっていた。その彼女は、ひざ下数センチのベージュのボックススカートを穿いていて、真っ赤なゴム長靴を履いていたのだ。それを目にした私は、「あ、こういうファッションもあるんだぁ~・・・」と思い、とても印象的に映った。

改札口から地上へと通じるその階段を下りていった方角とは、真逆の方向にどうも海があるぞ・・・とわかり、私は家族と共にそっちの方向へと歩き出した。いつの間にか雨は止み、お日様が顔を出していた。「もう直ぐS先生に会える!」という、静かなる喜びで一杯だった・・・。夢はこれでおしまいだ。

さぁ~、この夢から覚めた私は、その後どうしたのか・・・だ。壁を突き破るほど意識が暴走したわけではないが、細かいところの夢解釈はともかく、「海洋」という言葉がどうしても気になってしょうがなかった。その日の朝食の時に、家族に聞いてみたが、特に何の心当たりもないと言っていた。

そしてその日のうちにS先生にお電話を差し上げ、その日のうちにお会いしていただけることになった。

お届けしたい物もあって、私はそれを持ってS先生のお寺へ出かけた。S先生にお会いしたその時に、私はS先生にこうお聞きしてみた、「S先生は、今、海洋とか、海とか、あるいは水に関する何らかのお仕事にたずさわっておられるのですか?」と。そして私は、昨晩見たその夢の内容もS先生にお伝えしたのだ。

すると、S先生は何かを思い出されたご様子で、少し驚かれていた。私の夢の意味がおわかりになったんだと、私はそう直感した。案の定だった。

S先生のお話によると、S先生の信者さんで、お寺で唱題プラクティスを行うと、いつも決まって「海が見える・・・。海が見えるんです!」と、そう訴える方がいるそうだ。ここ最近、ずっとお寺に頻繁に出入りしている方だそうだ。その信者さんが日々同じことを訴えるので、S先生も気になり、遂に法華経に手を伸ばされたんだそうだ。何気なくそのお経を「パッ!」と開いたら、正に開いたそのページに、「龍宮」のお話が書いてあったそうだ。浦島太郎が亀に乗って行った海の中の龍宮城の、あの「龍宮」のことである。

つまり、S先生は、ここ最近ずっと海のことをお考えになっていた・・・ということがわかったのだ。私は、ただただもう、驚きの連続だった。

(完)

 カテゴリー : 夢解釈 | 投稿日 : 2016年12月6日

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