時として、霊は人間を優しく抱きしめることがある。先日(2018年1月9日)、ここでそんなお話をしたが、今日はその続きである。
私を抱きしめた天女とは、一体どんなお方様だったのか・・・を、あれからS先生(日蓮宗・ご住職・男性)にお聞きしてみた。すると、その後S先生からご回答があった。
私が天女に抱きしめられた現場は、S先生のお寺の本堂内である。そこでS先生と一緒に、私は唱題プラクティスを行っていた。唱題プラクティスとは、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」と、ただ一心に唱えることである。その時、私は、本堂内のご宝前に向かって正座をし、合掌しながら、半眼状態で祈っていた(唱題プラクティスのこと)。
ご宝前とは、神仏の前を尊んでいう語。お寺なら、本堂内のマンダラや仏像などが安置されている前とか、ひろまえのこと。半眼とは、目を少し開けた状態のことである。
天女とひと口に言っても、天使かもしれない。精霊か、妖精か、あるいは女神様ということも考えられる。でも、私が思ったのは、私をあの時抱きしめたのは、少なくとも女神様ではないと思ったのだ。
だって、私が女神様に抱きしめてもらえるほど、私が霊的な力を持っているわけではない。つまり、私は神官にはなれない。例えばね、女神様のお声をしっかり聞き取って、それを地上に降ろすとかね・・・そういう力は私にはない。私が、例えば何か貢献したとか、何らかの業績を上げるとか、あるいは偉業すら成していないのだ。女神様のお力にもなれない私が、女神様に抱きしめてもらえるとは、とても思えない。なので、女神様ではないと、私は何となくそう思った。そう考える方が自然だと思った。
なので、天使か、精霊か、妖精のいずれかかなぁー・・・と、私はそう思った。天使とは、天の使い(うん、これはわかる!)。
じゃ精霊は・・・となると・・・。神様の位の下に位置する霊・・・という解釈もある。
じゃ妖精は・・・となると、私はこんな風に認識している、羽の生えたちっちゃい人間の姿形をしている生き物(?)と。花の妖精とか、森の妖精・・・などとそんな言い方もするから、妖精は森や花に住んでいると、漠然とそう思ったりもした。
いずれにせよ、私を抱きしめたのは、少なくとも女神様以外の存在だと、私はそう予測した。
そして、私は、S先生にこうお聞きしてみた、「(あの時私を抱きしめた)天女とは、天使でしょうか? それとも精霊とか、妖精でしょうか? あるいは女神様だったのでしょうか?」と。すると、私の予想は大きく外れていた。
その質問に対して、S先生はこうおっしゃった、「もうはっきり覚えていませんが、女神様だったと思います。」と。
「えっ、えーーー!」と思い、私は本当に驚いてしまった。驚きの波が引きはじめたその時に、私はこうも思った「なんで?」って。私は何のために、女神様に抱きしめられたのか・・・って、そう思ったのだ。だって、意味がなかったら、そういう事はしないでしょう、普通。
その理由をS先生にお聞きしてみた。すると、S先生からこんなご回答もいただいた。
(その理由は)わかりません。ただ思うのは、
仏陀は、恐らく (当時の)乃風さんが、
天の愛を知るべきだと
判断されたのではないかと思います。
そして天女を遣わしたのだろうと推察します。
天の愛は、純粋なものです。
人間ももちろん愛を大切にしますし、
愛を抱きますが、天のように
純粋なものではない場合が、
少なくありません。
例えば、人間の場合は、「可愛らしい!!!」という
じぶんの心に生じたイメージを
相手に投影して、それを抱きしめたりして
いるのです。=よくよく観察すると、
愛とは云っても自分の情(愛着)の思いを
満たすための自己中心的な
感情であったりするのです。
この場合の愛は、相手から思うような反応が
返ってこないと、憎しみに変わって
しまうことがあります。
天の愛は、ただただ慈しみ(純粋)
でしかないのです。
合掌
S先生のお名前記す
「あー、良いことが書いてあるなぁ~・・・」と思って、「サラァ~!」っと、流し読みができそうな内容だ。でも、これまでの事を思うと、恐らく、S先生はこのご回答に記した内容を、体感で、全てを経験されているのかもしれないなぁー・・・と思った。恐らく、そういう事なんだと思う。
どういう事かというと、S先生が葬儀や供養などを行うと、S先生の身体の中に亡くなった方の壮絶な思いが入ってくる。そういった思いを通じて、S先生が上記のご回答の全てを体感されてきた・・・という意味である。
亡くなった方の壮絶な思いとは、先の通りで、例えば、その人が生きていた時の自己中心的な感情だったり、その愛が憎しみに変わる瞬間などのことである。そういった感情や意識などを、S先生が、あたかもご自分の感情や意識であるかのように実体験する・・・という意味である。
なので、S先生には、他界された方の感情や意識、あるいは生前のその人の人格までもわかってしまうのだ、例えその人と生前に面識がなくても・・・である。
話題が少し飛ぶが、この記事の終着点が近づいてきた。
「私は甘党なんです。」を英語で表現すると、” I have a sweet tooth. ” となる。この英文を直訳すると、「私は、1本の甘い歯を持っています。」となる。甘いものは、本当に人の心を癒してくれる。私は、S先生からいただいた今回のメールに感極まり、甘いものをたらふく食べたかのように癒された。私はただただ繰り返し読み返した。
(完)